カーボン問題は、
重大かつ分かりやすい。
環境問題の映像を見ると、説得力充分だ。
しかしまた、アメリカでは現政権とゴアの対立軸になっている。
アメリカとユーロの対立軸になり、
産油国が絡む。
まるっきり政治問題になってしまう。
原子力発電所は安いのか高いのか、
どの期間で考えるかによる。
短期的に考えれば、安いし、エネルギー源を多角化できる。
長期的に考えれば、厄介な問題がたくさんある。
ごみを宇宙に捨てるか、人間が宇宙のどこかに行くか、
そのくらいしか考えられない。
六ヶ所村は宇宙ではない。
われわれ老人はあと20年くらい先までのことしか考えられない。
あとは、どうなかなるだろう、と、
急速に想像力がしぼむのだ。
どうせ死ぬだろうからどうでもいいというのではないのだ。
そんなに利己的ではない。
自分の子供、孫、子孫の問題だし、
文化の問題なのだから、重大である。
我々の作り上げた文化である。大切なのだ。それは切実だ。
そう思ってはいても、やはり、なんとなく、像がぼやけてしまう。
原油は高くなった、
食糧は危機、
エネルギー源の多角化にはコストが高くつく、
人口は減る。
日本を引っ張る国際輸出企業は、日本の国民のことを本当に考えてはいない、
いざとなれば引越しすればいいだろうと思っているくらいの、
国際派だろう。
いろいろな問題がリンクした交差点にカーボン問題がある。
いつか誰かが頭のいい解決を考えてくれるのかな、
いつもそうだったように。
ベルリンの壁が壊れるとは思っていなかったのが、壊れた。
ソ連共産党も壊れた。
ベルリンの壁もない、ソ連もない、この世界を
あの世に行った友人たちに教えてやりたい。
楽観主義には価値があると教えてやりたいのだ。