聖書には、「あなたがたの頭の髪の毛までもみな数えられている。だから恐れるな」とある。
「だから」恐れなくていい。
「だから」恐れなければならない。
「このようにあなたがたも自分は罪に対して死んでいるが
キリスト・イエスに結ばれて神に対して生きているのだと考えなさい。
罪に対して死んでいるけれども
キリスト・イエスに結ばれて
神に対して生きているのだと考えなさい。」
「わたしは神に生きるために、
律法によって律法に死んだ。
わたしはキリストと共に十字架につけられた」
「もはやわれ生くるにあらず、キリストわが内にありて生きたもう」
北森 嘉蔵には「ヨブ記講話」教文館もある。
ユングにヨブ記を論じたものがあり、これもたいそう難しい。
若いうちにチャレンジしてほしいものだ。
フロイトとユングは宗教について考え方にかなり違いがあると思うが、
どちらにとっても大きな問題だった。
彼らを知るためにもキリスト教は知るべきである。
精神を分析することの半分は家族のことであり、半分は神のことかと思うくらいだ。
日本語ならば、遠藤周作があり、なによりまず三浦綾子がある。
入門書がたくさんあり、小説もたくさんあり、
分かり易いが、浅いわけではない。
「氷点」は何度も映像化されているし、これからも映像化されるだろう。
そしてそのたびに原作が読まれるだろう。
その人たちはバッハのマタイ受難曲に出会い、
聖書を読むだろう。
「氷点」に、茅ヶ崎におじいさんがいることが出ていて、わたしにはそのことがおもしろい。