その人の志も悪くないし、
話の懸命さも伝わってくるのだけれど、
話の内容は、どう聞いても、筋がよくない。
ある種の病気の場合には、自分で判断することができなくなってしまい、
他人の言葉ばかりを繰り返すようになってしまう。
そして、話を聞いていると、どんな種類の友達がどんなことを説教しているのか、
だいたい推定できるのだけれど、
やはり、筋がよくない。
どうしてそんな人と付き合うのかといえば、
仕方がない、それが世の中というもので、
いわゆる、socio-economical-classが
次第に低下して固定するのである。
たとえば、転職する場合でも、
転職を紹介してくれる人をたくさん知っていて、その人も能力が高い人がいる。
大企業の少しだけえらそうな人たちと付き合いがあれば、
関連会社も含めて、いろいろな処遇はできるものだ。
しかし、転職しようと思っても、
何も手がかりがない人もいる。
親も手がかりにならず、友人知人も手がかりにならず、
おかしな説教ばかりして、
実際の力にはまったくならない。
変な話を一杯聞いて、そのたびに真面目にそうかなと思うので、
考えはまとまらず、時間を浪費する。
変なもうけ話にひっかかり、ますます貧乏になる。
かといって、本人が、まったく知らない会社に履歴書を出して、
試験に合格するようなことも考えない。
この層の人たちの特徴は、将来構想がないこと、
体力と気力で乗りきろうとすること、
酒とか暴力とか、B級映画的価値観が優勢であること、
女性に対して極端に侮蔑的であるか、または、恐怖をいだいており、現実的ではないこと。
そしてそれにふさわしい配偶者がくっついていること。
どうしてこんなにも違うのだろう。
同じ日本に住んでいて、山手線に乗っているのに、
こんなにも「他人」なのだ。
よくない社会だと思う。