道路予算の世界は、ある種の、福祉国家なのだ。

一億円弱の予算を使って、
くだらない報告書を作成していたという、
国会でのやり取り。

しかし考えて欲しいのだが、
福祉国家とは、
そういうものなのだ。
弱者を助けるとは、つまりそういうことだ。
こんな奴に一億円と言っているが、
それを怒らない社会が福祉国家なのである。

道路予算の世界は、ある種の、福祉国家なのだ。

あの予算で、公務員が潤い、土建屋が潤う。
すると、その家族と、周囲が潤う。
その人たちがお金を使って、商売人が潤う。
そのように回り回って、次第にみんなが潤う。

金丸信みたいに金の延べ棒にしてしまえば、回らないお金になってしまうのだが。
そうではなくて、子分をつれて飲み歩いたり、ゴルフ場で使ったりすれば、
8丁目の女性たちもひと息つけるのである。

みんな自分の周りを見渡してみて、
公務員が何人いるか、
軍人恩給をもらっている年寄りが何人いるか、
宗教法人減税のおかげで助かっている人が何人いるか、
それらの人々が散財するおかげで助かっている人が何人いるか、
そう考えてみれば、
予算の名前がなんであろうと、
お金が回ればそれでいいとも思えるのだ。