あきらめなければ、失敗ではない。
いい言葉である。
しかし、失敗を回避すべきものと前提しているようである。
人生においては、
何か成功で何か失敗か、よく分からない、
わたしはそのような立場に立つ。
何が幸せであるかは、分からないものだ。
世間でいう成功と失敗は、
一応そのような標識が立っているだけで、
まったく信じるに足りない。
才能と富があるところには、
そのおこぼれにあずかろうと、
悪も集まる。
静かで優雅な生活は破壊される。
しばしばジェットコースター的人生になる。
何が幸せなのか分からない。
諦めなければ、失敗ではないという言葉を、そのまま実践してくれるのは、
コンピュータである。
結果が失敗だったら、どのパラメーターをどれだけ動かす、
そして再トライする、と指定しておけば、
とりあえず、有限時間のうちは作動していて、
失敗と認定されることはない。
その場合でも、
あきらめなければ、失敗ではない、のである。
たとえば新橋から飯田橋に行くのは、少し面倒だ。
いくつも行き方があるが、成功と失敗があるのではない。
偶然どんなものに出会えるか、
あるいは、電車の中で何を思いつくか、
それは予想できないことだ。
命以外の大切なものを失ってしまったとして、
それでもまだ失敗とは言えないだろう。
そこから立ち上がることができる。
教訓を学ぶことができる。
何より一回り成熟した人間になっている。
何かのせいで回り道をして、
そこで梅の花に出会えたなら、幸せである。
わたしは人生の回り道のおかげで、
最後にあなたに逢うことができた。
これは本当にありがたいことだと感謝している。
今まで失ってきた多くのもの、
そしてまた失った可能性、
そうしたものも、あなたの存在に比較すれば、つまらないものだ。
柄の付いたストッキングの上から、
静かに撫でている。
ふくらはぎがかわいい。
あなただけがかわいい。
すべてにまさる幸せである。