どんな人間にも、何かしらの、コンプレックスがある。
劣等感。
本来のコンプレックスは、単なる複合体という意味である。
ユングの頃から、心理学の用語として、インフェリオリティ・コンプレックスが用いられ、
日本語では、コンプレックスは劣等感と同義になった。
完全無欠な人生などないわけで、
なにが完全でなにが無欠なのか、人生ではよく分からない。
たとえば、貧乏に生まれて成功すれば、豊臣秀吉であるが、
家柄コンプレックスがある。
裕福な家庭に生まれて成功すれば、
自分は貧しさも知らない、貧者の情も知らない人間なのかと思い、
ある種のコンプレックスになる。
どんな物事にも両面はあり、片面は、劣等感となりうる。
異性に縁がないのは劣等感になり易いが、
異性に縁がありすぎるのも、自分は何か大切なものが欠けているのではないかとか、
本当に大切な一人の人にめぐり合っていないのではないかという劣等感になることがある。
最高の異性と最高の恋愛と結婚を一度だけすれば、
劣等感とは関係なさそうだが、
絵に描いたような人生しか歩めないだめな奴とも感じられる。
だめな道だって歩けるんだぞと、威張ってみたい。
おかしなものだ。