教育の機能はいろいろある。

教育の機能はいろいろある。

国際社会の中で、中国やインドの代表に負けずに主張できる人材が必要である。
資源のない国なのだから、頭脳で稼ぐ工夫が必要である。
特許を一杯取りたい。

頭脳で稼がないのなら、
観光立国くらいしかないだろう。
奈良と京都のお寺さんで稼ごう。
温泉とスキー場で稼ごう。
その場合には、語学ができて、丁寧な接待ができて、
気が働くような人を作る教育が必要だ。

社長も育てたい。
まじめな社員も育てたい。

政治家の発言をまともに信じる国民を育てたい。
文句を言わない社員も育てたい。

マスコミの嘘を見抜く賢さを持った国民を育てたい。
適当な具合にごまかせる国民でいて欲しい。

電車に並んで乗り、
エスカレーターは並んで待ち、
おつりはごまかさず、
ごみを路上に捨てない、
警官に注意されれば従い、
そんな社会も維持したい。

電車内で誰かが強姦されていれば、見てみぬふりをして、後で証言する、
警察はでっち上げ捜査をして、
自衛隊は不都合な事実を隠そうとする。
結局、そんな社会にしたのも、教育の結果の側面もある。

食糧自給率を上昇させる教育をしたい。
勤勉な農民を育てたい。
ものづくりの喜びを教育したい。

要するに、教育は、未来である。
小学校の教室で起こっていることが、
20年後に、会社で起こる。

小学校の先生が泣いているとすれば、
20年後に社長が泣く。

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それ以前に、人間として本質的な、学ぶ能力を伸ばすことも、大きな目的だ。
学ぶ喜び。

また、適性を見抜くことも大切だ。
音楽の才能がないのに、音楽家を目指しても、
結局うまくは行かない。
音楽は趣味にして、定職を決める。

集団の中で、自分はどんな人間なのか、知ることも大切なことだ。
そのためには、一時的に集団で時間を過ごすこともいいのだろう。

教育に何を期待するか、それぞれの人により立場により大きく異なるだろう。

福沢諭吉が教育が大切と考えたことも、理解できる。
国家存立の基礎であり、
個人としても夢をかなえる手段であった。
親の職業以外のものになれるという教育制度はいいものだったと思う。
身分制度よりはずっといい。
つい最近まで、士農工商などと決まっていて、ちょんまげで暮らし、ペリーが来てびっくりしていた。

しかしそればかりではない。
いろんな人がいろんな思惑で、教育に注文をつける。

それらを精密に総合して、
教育制度を作ることはなかなか難しい。

統治の道具という側面はあり、
いやなことだけれど、それも現実にはかなり大きな価値がある。
一方で、自己実現の場と考えることも大切であり、
子供時代を教育されて過ごすことも大切である。

コーランで教育されれば自爆テロをするのかと言われるが、
戦争で日本人も特攻したのだし、
いまだにアメリカの大統領はそんなことをいう。

教育は実に大変なものだ。