ゆとり教育を米国が言うとき、
日本人は国内でコンビニの店員をしていればいいというつもりだったのだろう。
ゆとり教育を日本の指導者が言うとき、
画一的な正解を出すだけでない、
世界を変える様なクリエイティブな人間が欲しいという事があったのだろうが、
実際は、ゆとりの分は塾で勉強して、画一的選抜に適応して、エリート層ができた。
ゆとり教育だけで育てられたこともたちは
塾で勉強していい学校に入ったエリート層に仕えるだけの存在になる。
結局、米国エリート→日本エリート→日本非エリートの三段階に別れることになった。
世界を変える様なクリエイティブな人間を生み出す教育は、
ゆとり教育ではなかったわけだ。
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現行の東大入試や全国模擬試験といった画一化を生むものは即刻やめるべきですね。答えは1つだという前提の下で、全国の人が同じ答えを出し、採点されるという世界は気持ち悪いですよ。世の中に、答えが1つしかないものなどないわけで、東大に入る人というのは、多分、設問に対する推理力と記憶力が高い人であって、決してクリエーティビティーが高いわけではないということです。ですから、まずはあの無駄な試験を止めて、自分で自分の世界を選ぶということに時間を使うようにすべきでしょう。
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かなり特殊な考え方だろう。商売で言えば、そうかもしれない。
最終的に儲けなければ無意味だというなら、そうかもしれない。
世の中に、答えが1つしかないものなどあります。
論理はひとつです。