「デジタル・コンバージェンス」

2011年にはテレビのアナログ放送が完全に廃止され、デジタル放送に一本化されます。ここに向けて、今までのアナログ・テレビとはまったく異なる、ネットワークにつながり双方向性を獲得したデジタル・テレビが広く一般に普及します。

家庭における「デジタル・テレビ」、自動車における「カーナビゲーション」、職場における「パソコン」、モバイル環境における「携帯電話」です。

これらが統合されることを「デジタル・コンバージェンス」と呼んでいます。コンバージェンスとは、英語で「集中・収束・収斂(しゅうれん)」という意味ですが、今後、さまざまな産業が、「デジタル」と「ネットワーク」という共通のキーワードを共有するようになることで、ひとつの世界に収斂していくことでしょう。

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個人的にはカーナビの発展に一番期待している。
家庭では、家族がいると、あまりきついこともできない。
モバイルは所詮モバイルだ。
職場でも、きついことはできない。
自動車ならば、かなり自由な空間である。
オーディオも車で楽しむことが一番多い。
大音量で、自分も歌っても、誰の迷惑にもならない。
鎌倉山の家のときにはオーディオルームがついていたが、
いまはそんな風にはいかない。
あのときの大きなスピーカーは倉庫に入ったままだ。
歳をとったせいもあり、音楽に対してそれほど欲求がない。
多分若い一時期、アイドルに憧れ、その歌に憧れる、それだけのものだったような気がする。
バッハは私にとって環境であって、家具のようなものといえる。光線のような、香りのようなものといえる。

少し渋滞に巻き込まれれば30分くらいはすぐにたつので、
映画の1/3くらいは見られる。

見逃したNHKスペシャルとか日曜美術館とか世界遺産とか映画とか、
ダウンロードして見られれば便利だ。
そのとき、視聴料とかCMをどうするのかが問題だが、
あまりしつこいのはかえって飽きられるだろう。
gyaoなどでもかなりしつこいと思う。

長い時間をCMに占有されるよりも、簡単なアンケートで、双方向性を生かせばよいのではないか。
ソニーの世界遺産は、CMを短くして、クオリティの高いものにしているように思う。あの程度なら、わざわざスキップしないでもいい。
最近の携帯のCMのように、ただ繰り返すことで効果を上げようとしているものに関しては、
だんだんむかついてくるばかりだ。
有用な情報をスマートに伝える気持ちがない。
小学二年生向けに作っていて、見るほうもすっかり小学二年生になっている。
第一三共製薬も、渡さんが出てくるのは印象に残るが、
第一三強ならば何がいいのか、まったく分からない。
それも当然で、ジェネリックと違うのは、値段が高いだけのことだとなったら、広告するたびに、伝えるべきのもののなさを伝えていることになる。
その点は、大日本住友の、おじいちゃんと孫娘は、内容がある。
てれぞというのはどんな人でもいる。たとえば、代々木公園のようなものかと思う。
そこで1時間くらい座って景色を眺めているのがこれまでの人生だったけれど、
もうそろそろ卒業したいものだ。
報道ステーションのおかしなキャスターの顔も見たくない。

コマーシャルを見てくれたらポイントを返すくらいの作戦がいいのだろうか。
なにしろそのCMに関して能動的に行動したのだから。