長期経過による疾患区別

シゾフレニーとかMDIとか、現在症で区別するのは難しそうだということで、
長期経過を見て、区別したのが
クレペリン大先生の偉いところだ。

徐々にレベルダウンするものと、
まったく元に戻るものを概念的に立てて、
区別した。

しかし、その長期経過というものは、
一人の医者が何十年も観察を続けなければはっきりしたことは言えないもので、
その後に、振り返ってみれば、
長期経過と、どの現在症状が関係ありそうかと、議論できるのであって、
大変に気の長い話で、客観的検証も難しい話である。

現在ならば、ビデオで克明に、60年分くらいを記録して、
後世に残せば、天才的な人が何か考えてくれるかもしれない。

しかし今生きている患者さんはそんなことは言っていられない。
薬も飲みたいし、精神療法も受けたい。
そんなことのせいかどうか、
シゾフレニーもMDIも軽症化が言われている。
なぜなのか、何が起こっているのか、よく分かっていない。

したがって、クレペリン先生の言う、長期経過の概念に反する症例もたくさんあるのであり、
それは、長期経過というコンセプトが、
疾患の本体をとらえていなかったせいなのか、
現代の何かの環境のせいなのか、
分からない。

シゾフレニーについて、
two-hit セオリーなどはよく言われることで、
遺伝的に準備された状態Aに、
後天的な何かBが加われば、発病するのではないかといわれていて、
Aは単一とは限らないし、
Bも単一ではないだろうと想定されている。

それでも一つの病気なのかといわれれば、
実際かなり異なるものを含んでおり、
ヘベフレニータイプとパラノイドタイプはかなり違うし、
カタトニータイプは最近めっきり少なく、
単純型については、ジンプレックスと呼び習わされていて、
学問的にはおもしろいが、治療はなかなか難しい。
残遺型と言って、レジデューアルタイプと呼び習わされているが、
これも治療には長い時間がかかる。
年単位どころか、十年単位である。
それらの病型と、
躁とかうつとかてんかんがどれだけ近いのか遠いのか、
怪しいものだ。
もともと適応が悪くなるはずだから、反応性に躁にもうつにもなりやすいので、
内因性の波かどうか、見分けるのも怪しいところがある。

もう論文を書く必要のない老医師なので安心して言うのだが、
そもそも精神現象を客観的に測定する方法を発見しないうちは、
論じても、うまく行かないだろう。

たとえば、雷の研究をして、
写真を撮ったり、スケッチをしたり、音を比較しても、だめだった。
電気とか電子とかの概念に至り、
それを具体的に電圧とか電流として測定できるようになってから、
雷の本質が議論できるようになった。

たとえば、雷が地面まで届くとか届かないとかで区別しているなら、
あまり意味はないのだ。

正体不明なうちは、必ず超越的・神秘的なことを言いたがる人がいるもので、
精神病理については、多分、最後までそんなようすだろう。

病像については、
極期についてはかなり区別できるが、
始まりはどれも似ている場合があり、
最後はやはりどれも似ている場合がある。
final common pathway というような言葉もある。
個人的にはinitial common pathway という言葉を提案した。

まず何はともあれ、測定することだ。
糖尿病における血糖値やA1cのように。
高血圧における血圧のように。

将来は、セロトニン過剰症とか、
ドーパミン過剰症、
GABA早発性減少症、
前頭部グルタミン酸不安定症候群、
前頭側頭アセチルコリン老年期減少症などと言いたいものだ。

利根川先生などはさすがに天才的で、
脳研究の分野でも、
なにかブレイクスルーをもたらしてくれるかもしれない。