人口密度と精神病理 匿名の群集の中での寂しさ

人口密度については、ストレス要因となることが分かっており、
例えば、マウスを密集した状態で飼育していると、
部分脱毛ができたりする。

東京の電車に乗っていると、
パーソナルスペースが余りにないことが分かる。
人と人とが極度に近い。
その反動もあって、携帯などで、わざわざ距離をとるのかもしれない。

しかしまた一方で、
自殺率が高いのは東京ではなくて、地方である。
これは経済的な要因が関与しているようだが、
ある程度元気な人しか東京にいられないというのも現実なのだろう。

マスコミの発達も精神生活を大きく変えていると思う
親の言うことよりも、
友人の言うことよりも、
マスコミの言葉を信じたりする。

東京は人口密度が高いけれど、みんな他人だ。
田舎は、どこの誰があるいているのか、分かる。
その意味では、「知っている人がいて、自分を見ている」割合は、
地方の方が高いかもしれない。

モンスターペイシャントというようなものは、
お互いに匿名性があるから、成立するもので、
お互いに家族ごとの知り合いみたいな状況では、起こりにくい。

また、村でただ一人のお医者さんだとすれば、
お医者さんの方でも、そのような気構えで接するし、
患者さんの方でも、そのような気構えで接する。
昔はたぶん、そうだった。

一般の人がテレビの前で、泣いたり、激したりしている。
それも、テレビで都合のいい商品になるからに過ぎない。
誰もその人の将来など考えていないかのようだ。

テレビは一度か二度映すだけで終わってしまうが、
そのようなことをしたという刻印はその人にずっと残る。

そのような点では、人口密度はやたらに高くて、いつもすぐそばに人がいるけれど、
自分のためを思ってくれる人が少ない、
やたらに寂しい状況でもある。
そうでなかったから、携帯電話なんてわずらわしいだけだろう。
本質的に携帯電話が必要な人はかなり少ないはずだ。

みんな匿名の群集の中で寂しいのだろうと思う。