スポーツを見ていて思ったこと。
先日、
「外国人が日本に長く居すぎた…と実感するとき、それは、山手線のホームで人波を左右に押し分けながらかいくぐり、電車に飛び乗り、ドアが閉まらないように手で押さえ、その間にかばんを電車に引っ張りこむ。その理由が、少なくともあと2分は電車が来ないためだとわかっているとき
(外国では1時間にたった1本の電車が平気で遅れてくる。ひどいときは数日遅れる。) 」
というジョークを紹介したのだが、
実際、水泳で、0.1秒を争うことに何の意味があるのか、よく分からない。
マラソンも、10分くらいなら、特に差はないと思える。
ゴルフなど、人間の何の能力や何の本能を競っているのか、
まったくよく分からない。
あんな棒であんな石ころを叩いて、どこかの穴に入れるなど、
まったく何の役にも立たない。
テニスに何の意味があるのだろう。
攻撃性を発散させる程度しか思いつかない。
第一、あの手のはずむボールは自然界にはないし、
ラケットもあるはずがない。
野球も、なぜあんなことをしているのか、全然分からない。
ただ、ピッチャーが狙ったところに球を投げるというのは理解できるし、
速い球を投げれば、たとえば投げられたのがウサギとか狸だったとして、よけにくいのは分かる。
しかしそれでも、カーブやフォークは何の意味があるのか、分からない。
進塁するというのも、よく理解できない。
純粋に、動く標的を狙って投げた方がいい。
射撃は、直接役に立ちそうだが、銃がないと話にならない。銃が作れるくらいの社会では、実際のところ、射撃よりも有効な食糧の手に入れ方がある。
競歩はまったく意味が分からない。
100メートル走は意味がありそうだが、0.01秒の差に意味があるとも思えない。
ハンドボールも、ゴールネットの意味か分からない。
ドッジボールのほうが、なんとなく獲物を囲い込んで石ころを投げて倒すイメージに近い。
ボールを標的に入れるといった類の競技が多いが、
それはセックスの寓意なのだろうか、
それ以外に実際的な意味はまったくないと思う。
重量挙げは原始的な発想だと思うが、あんなに重いものを瞬間だけ持ち上げても意味がないし、
第一、体に悪い。
そういえば、体に悪いスポーツが多くて困る。
どれもこれも関節を悪くしたり、腱や筋肉を傷つけたりしている。
原始的な本能に帰って、
50メートル離れた付近を横切るライオンの形をしたものに石ころを投げて、倒す競技とか。
水泳して、鮭、じゃなくて標的を見つけてそれを捕獲して帰ってくる競技。それを陽が登ってから陽が沈むまでくり返し、最終的に標的を一番獲得した人をたたえる競技。
飛ぶ鳥に似せたものに対して、石を投げて落とす。
弓でウサギのような的をしとめる。
大声で相手を驚かせる。
こん棒でトラのような標的を殴って気絶させる。
*****
対戦型のゲームは要するに人殺しの変形ということだろう。
どれもまったく意味はない。
人が人に勝つには、集団を組織することが最終的な方法だからだ。
*****
提案の1は、野球のボール程度のものを投げて、
50メートル先を、時速80キロ程度で横切る物体に命中させて、破壊する。
チータやパンサーのようなものを想定するとして、
その頭部に命中すると考えれば、
直径30センチの球体といったところか。
提案の2は、野球場を使う。ひとりに一塁から三塁に、プロテクターを着けて走ってもらう。もう一人にベースボールに足をつけながら、野球のボールを何回でも投げてもらう。あたったら、キャッチャーの勝ち。当たらずに三塁まで到着したら、ランナーの勝ち。
提案の3は槍で提案1と同じことをする。
難しすぎるか。
動物を人間が素手でしとめるのは難しいのだろう。
大型動物は物理的に頑丈そうだし、鳥は速い。
弱った動物は捕獲し易いが、
病気である可能性が高いから、
食べないほうがいい。
したがって、植物を手に入れたほうがいい
*****
動物は諦めて
植物を効率よく手に入れる方法としてスポーツを考えると
なにも一刻を争うことはないと知る
バナナが逃げるわけではない。
持久力の方がよほど大切だ
一日でも二日でも一ヶ月でも一年でも、田植えをして草取りをして収穫をして、
持久力を競えばいい。
木登りなどは実際に意味があるスポーツかもしれない。
しかし、待てば柿の実も落ちてくるのであって、なにも実際に木に登る必要もない。
結局、実際に農耕をしたほうがいいのであって、
スポーツなどに実際的な意味はない。
*****
動物を捕るのにも有効ではないし、
植物を栽培収穫するのにも特に有効ではないとして、
スポーツは何のためにあるかと考えると、
やはり、同性同士のあいだで順位をつけて、異性にアピールする、これしかないだろう。
しかし、そのようないわゆるスポーツ能力に憧れるような異性は、
頭の中身が怪しいのであって、
子孫が繁栄するとは思えない。
健康とスポーツはあまり関係しない。
健康を測るには、実際の長生き家系を探すほうがよほどいいかもしれないが、
最近は長生きが諸悪の根源のような言われ方もしている。
健康保険は破綻し年金は破綻する。後期高齢者のせいらしい。
日本にいる限り、肩身の狭い思いをする。
そのためには外国語だ。
しかし日本人同士でも、後期高齢者を長寿と言い換えているような具合で、
結局のところ、言葉は意味不明である。
相手を気持ちよくさせる術だけが有効である。
それって、銀座8丁目の笑顔か、新橋3丁目のお風呂か、どちらかではないか。
言葉は要らないのだ。表面的なものに過ぎない。
というわけで、スポーツは不要で、性の技術とスタミナだけが問題である。
それが原初のスポーツだ。