うつ病患者650万人5年で倍増

 うつ病は、一般に長期にわたり重度のうつ状態が続く「大うつ病」、躁状態とうつ状態を繰り返す「双極性障害」、軽いうつ状態が長期間続く「気分変調症(気分変調性障害)」に分類される。現在広く用いられている米国精神医学会診断基準の最新改定版「DSM-ⅣTR」では、気分障害の下位項目に大うつ病性障害と気分変調性障害、双極性障害が分類されている

  従来の診断基準ではうつ病の成因を仮定し、それを基に分類していたが、診断者によって不一致率が高いのが欠点であった。
  これに対しDSM分類はうつ症状の数と症状の期間を基に総合的に診断する「操作型診断」と呼ばれるもので、臨床経験のみに頼ることなく合理的に診断し治療しようとするものである。DSM分類によるとうつ病の症状9つ(表2)のうち、「抑うつ気分」と「興味と喜びの喪失」を含む5つのエピソード(症状の発現している状態)が2週間以上あり、躁がなければ大うつ病性障害となる。
  また、双極性障害のうち「双極Ⅰ型障害」は、躁もうつも重い躁うつ病であり、「双極Ⅱ型障害」は躁が比較的軽度の躁うつ病である。
  さらに「気分変調性障害」は、少なくとも2年間は抑うつ気分がある日がない日よりも多く、大うつ病エピソードの基準を満たない抑うつ症状を伴うのが特徴である
(Prog Med 27(9)1979-1984(2007.9))。
  1990年代後半、企業のリストラなどによる社会的なストレスの増大でうつ病患者の増加が社会的問題になり始めた。現在、うつ病患者は650万人にまで増えたと推定されている。
  WHOプロジェクトの一環として行われた世界精神保健日本調査(WMHJ 2002-2006)によると、日本で過去1年間に大うつ病障害のあった人は2.1%、生涯有病率は6.7%と、成人の16人に1人が生涯に1度、50人に1人が過去1年にうつ病を経験していることがわかった(日本臨床65(9)1578-1584(2007.9))。1997年~1999年の調査(WHO-ICPE)では、過去1年間の有病率は1.2%、生涯有病率は3.0%であったことから、5年間でほぼ倍に増えたことになる(医学のあゆみ219(13)925-929(2006.12.30))。

  実際に気分障害(うつ病・躁うつ病)のため医療機関を訪れた人は、1999年から2002年の3年の間に44万人から71万人に急増し、2005年はさらに92万人に増加している(図1)。この間、入院患者はいずれの年度も2万8000人前後で変わらず、外来患者で急増している。
  三木内科クリニック院長の三木治氏は、うつ病患者の増加は「一般社会への啓発が広がり、内科医を中心とする一般診療科医の理解が深まった結果、受診率と診断率が高まったため」と分析している(Prog Med 27(9)1989-1993(2007.9))。
  「うつ病は心の風邪」といわれるまでにうつ病の治療が大衆化し、気軽に病院を訪れた結果、外来患者が急増した。実際三木氏らの調査でも、うつ病症状を訴える人の初診科は精神科・心療内科10%に対して内科が64.7%と、7割以上が内科といわれる欧米並みになってきた。
  日本では、欧米に遅れること10年、1999年に初めて選択的セロトニン再取り込み阻害剤(SSRI)と呼ばれる新しいタイプの抗うつ剤が登場し、販売企業による潜在患者の堀り起こしもあって、2?3年で2倍以上も新薬市場が拡大した。
  ところが、「早期受診で早期治療したからと言って患者が増えた分だけ治せるようになったわけではないというのが現場の医師の声」と指摘するのは、防衛医科大学校精神学講座の野村総一郎氏。同氏は、抗うつ剤の伸びと自殺率の減少は相関するという北欧のデータ(臨床精神薬理8(4)605-614(2005.4))に対しても、「抗うつ剤で病気が改善し自殺が減るから早期に治療すべきとは素直に解釈できない」とする。
  東京慈恵会医科大学精神医学講座の中山和彦氏は、「日本で自殺者が急カーブで上昇し3万人を超えたのはバブル崩壊後の1995年から1999年ごろだが、うつ病患者の急増期はむしろ2002年以降、自殺者数が横バイとなった時期」と指摘している(臨床精神薬理8(4)585-591(2005.4))。 うつ病の治療は「抗うつ剤」と「気分安定剤」による薬物療法が主要な選択肢となる。そのうち、「炭酸リチウム」を代表とする気分安定剤は、双極性障害に対し、抗躁作用と抗うつの双方向の作用を有する薬剤という概念で用いられている。
  炭酸リチウムの抗躁効果は1949年に発見された。日本でも1968年頃から治験が行われ、1972年の日本精神神経学会で躁うつ病治療が紹介され、1980年2月に大正製薬が「リーマス」として発売した。
  炭酸リチウムには抗うつ剤が持つモノアミン系に対する際立った作用はないが、抗うつ剤の増強療法で併用される気分安定剤として最もエビデンスが多く、ガイダンスの多くで推奨されている(Prog Med 27(7)1999-2004(2007.7))。
  その他に、気分安定剤として抗てんかん剤の「テグレトール」(カルバマゼピン)とデパケンなどの「バルプロ酸ナトリウム」が、それぞれ1990年と2002年に双極性障害への適応追加が承認された。
  うつ病の薬物療法の主役となる抗うつ剤は、日本では1959年以降1998年までに13種類が発売された(表3)。このうち、モノアミン酸化酵素(MAO)阻害剤の「サフラジン」は、肝障害などの副作用のため1997年に製造中止となった。これを除き、12種類の第一世代・第二世代の抗うつ剤が販売されてきた。

 第一世代と呼ばれる三環構造のイミプラミンに抗うつ効果が発見されたのは1957年。同剤は1959年に日本で発売された。その後、イミプラミンの化学構造の一部を変えた三環系抗うつ剤(TCA)が開発され、日本にも1960年代から1980年代に導入された。
  1980年代になり、TCAの副作用の原因となる抗コリン作用、抗アドレナリン作用、抗ヒスタミン作用を改善した四環系抗うつ剤が開発され、順次日本でも発売された。
  だが、TCAや四環系抗うつ剤と同様に「うつ病のモノアミン仮説」に基づく作用メカニズムを持ちつつ安全性、忍容性の面で従来の抗うつ剤よりすぐれることから、欧米で専門医に限らず一般診療科医にも広く用いられるようになったSSRIやセロトニン・ノルアドレナリン再取り込み阻害剤(SNRI)などの次世代では欧米に10年遅れることになった。2006年の「ジェイゾロフト」(セルトラリン)まで日本ではSSRI3剤とSNRI1剤が登場したが、海外ではすでにSSRIは6剤、SNRIは3剤が発売されている(図2)。

 新世代の抗うつ剤が欧米の1/3以下しか発売されていない原因の1つに、日本の臨床試験実施基準(GCP)が国際化への移行期にあったことが挙げられる。もう1つは、日本の医師の約9割が精神科領域の臨床試験でプラセボを使った対照試験に強い抵抗感を持っていることが新しい抗うつ剤の開発を困難にしたとも指摘されている(医学のあゆみ219(13)937-942(2006.12.30))。