シェイクスピア「リア王」小田島訳

エドガー「……
人間、運に見放されてどん底の境地まで落ちれば、
あとは浮かび上がる希望のみあって、不安はない。
……
最低のどん底からは笑いにいたる道しかない。
とすれば、目に見えぬ風よ、喜んで抱きしめるぞ、
おまえにどん底まで吹き飛ばされたみじめなおれは、
もうおまえを恐れる必要はないのだ。」
……
エドガー「ああ、『いまがどん底』などと誰が言える?
そういったときよりももっと落ちた。」
……
エドガー「もっと落ちるかもしれん、『これがどん底』などと
言えるあいだは本当のどん底ではないのだ。」

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本当にね、
あの頃はそれをどん底だと思ったけれど、
まだもっとどん底が待っていたのだった。
それはなんとなく普遍的な事情のように思える。
若い分だけ、将来を信じることができるのだろう。
年をとれば、いよいよどん底の感覚が強まるのだろう。
それに、年をとってからの辛さには、
若い頃の苦しみの成分が混入していると思う。
うつ場面選択的想起のようなもので、
いよいよ苦痛は大きくなる。