VII 敵のおかげでいいめを見、友達のおかげで悪いめを見る。
(十二夜 五幕一場26行)
The better for my foes and the worse for my friends.
シェイクスピア劇では道化がたくさん活躍しますが、これは『十二夜』という喜劇に出てくる、フェステという道化のせりふです。それから悲劇だと、『リア王』に出てくる名前のない道化、これは非常に優れ、ずっと引いて、人間を非常に客観的に見ているという気がします。
最近の、NHKと朝日新聞の論争でも、おかしいですよね。これはどちらも自分の立場にとらわれて見ているからです。すると、相手に対して腹が立ちます。ずっと引いて見たら、どちらでもいいということになります。そういう具合に、これはフェステという道化が、オーシーノーという公爵に出会って言ったせりふです。「おい、近頃お前、どうしてる」と言うと、「敵のおかげでいいめを見、友達のおかげで悪いめを見ているところだよ」と言います。「逆だろう」「いや、そうじゃないね。なぜならば、友だちは俺を見ると、俺をちやほやして、持ち上げているけれども、敵はおれを見ると、この馬鹿といって、俺の本当の姿を教えてくれる」。つまり、友だちによっておのれをあざむき、敵によっておのれを知る。だから、「敵のおかげでいいめを見、友達のおかげで悪いめを見ているところだよ」と。これは道化的にちょっとひねりを加えて、引いて見ている感じです。確かに、自分の耳にこころよい言葉というのは受け入れやすいけれども、きつい言葉というのは、なかなか入ってまいりません。それを道化なりに、軽く言っているわけですけれども、こういう言葉も時々思い出してみたいと、自分では思っています。
結局最初に申し上げたように、人間や人生を見る時に、少し引いて見るということができれば、見えないものが見えてくるだろうと思うと言うだけで、僕自身はまだ修行が足りなくて、そこまでできません。時々こうやって、シェイクスピアのせりふから叱られながら、これからも、なるたけ自由な目、第三者の目、何ものにもとらわれない目で見ていこうと思っております。どうも最後までお聞きいただき、ありがとうございました。
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「友だちは俺を見ると、俺をちやほやして、持ち上げているけれども、敵はおれを見ると、この馬鹿といって、俺の本当の姿を教えてくれる。」
友だちによっておのれをあざむき、敵によっておのれを知る。だから、「敵のおかげでいいめを見、友達のおかげで悪いめを見ているところだよ。」
そうだねえ、そういう面もある。
しかし、ちやほやされて、それだけでおしまいになる人生なら、
いい夢を見たということで、それでいいかもしれないとも考える。
自分の本当の姿など知らなくてもいいだろうとも考える。
その程度の人ならば真実の姿を知ったところで
どうにもできず逆恨みするだけだろう。
ある政治家などは回りにちやほやされて持ち上げられているうちに
その外側にいる大多数の人たちから反撃された
ひっこんでいればまた周りからちやほやされて図に乗るだろう
そのような夢に包まれて一生を生きるのもひとつの幸せなのだと最近は思う
罪は本人というよりは周りにある
頭の悪い僕ちゃんを操っている人たちの腹が黒い
真実に価値があるとも思わないのだ
志が高いとか
人格がどうとか
そんなものも一時の価値だろう
真実についても時間がたてばどうなるものか危ないようなものだ
一方、ちやほやされてだめになるというのは
変わらず真実だろうと思う
ちやほやされたら自分を戒めた方がいい
みんな自分のために他人をちやほやしているだけだ
では何を頼りに方針を決めればいい?
悲観的過ぎるだろうか?
よく分からない
とりあえず聖書と論語と仏教と現代科学をカクテルしている