人類移動

今日はまだ水曜日だと気がついて
がっかりした

夏に東京にいること自体が負け組みだ

夏は北海道と思うけれど
最近は北海道でもつゆがあるとか
北海道でもサツマイモが取れるとか

日本は中央政府の場所を
前年度平均気温15度の場所にすると決めればいいかもしれない

こんなに暑くては
霞ヶ関で
何も決められないのも
無理はない

ーー
大きな変化で言うと、
鎌倉時代から江戸時代にかけて、
寒冷化したらしい。

冷害の大飢饉で大塩平八郎の乱。

ヨーロッパでは麦が不作でフランス革命
ナポレオンがロシアに攻めて行ったらめちゃくちゃ寒かった

縄文時代と弥生時代では文化がかなり違い
人種としてもかなり違うことが分かっているが
稲作をするに当たっては、
徐々に稲作の技術を蓄えたのではなく、
一気に稲作民族になったようで、
要するに稲作の技術のある人たちが、
大移動して日本に来たらしい。

普通に考えれば、
朝鮮半島や中国東北部沿岸の人たちが、
あまりに寒くなりせっかく技術があっても稲作ができなくなってしまったので、
日本に来たということで説明がつくらしい。

縄文の暖かかったころは現在の青森県などで大規模な集落があったことがわかっている
どんぐりの林などに依存して生活していた
弥生時代の稲作はどちらかといえばやはり西日本で展開されたようで
比較的暖かく当時の稲作に適していた地域だったらしい。

その時点でどのように縄文人と混血したかも興味がある点で、
大雑把に言えば、縄文人は南から来た人で、
弥生人は北から来た人。

弥生人が来る前に縄文人が沖縄から北海道まで分布した。
そのあとで弥生人が裏日本・西日本を中心に住み着いて発展したので、
沖縄の人たちとか北海道のアイヌは体の特徴に、
南の人、古代日本の縄文的な人、の特徴を残している

仲良くした人たちもけんかした人たちもいただろう

日本語もそのような層構造を持っていることが考えられる
アイヌの言葉などは縄文時代の言葉の反映を残している可能性がある

文字を持つのはもっとあとのことで、
漢字が輸入されるまで待つしかなかった

万葉集では縄文人が未開人と思われていたらしい
古事記や日本書紀は本当に古い時代のものかどうか知らないが
どちらかといえば縄文文化に対して弥生文化の正当性を語っているかもしれない

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民族が移動すれば
病気も移動するはず
病原体も移動する
また病原性物も気候に合わせて移動するはず

古事記や日本書紀には
ひどい病気の話もあるようだ