適切な寿命はどのくらいのものだろうかと考える
脳のない生物の場合、
変異を作り出して、その中から適切な遺伝子を選択すればよいので
あまり長い時間は必要ない
時間が長すぎると、
どの環境に適応したのかが分からなくなってしまう
そう考えると、
環境の変化の速さに対応して適切な寿命が決まりそうだ
線虫で3週間、ショウジョウバエで3ヶ月、ラットやマウスで2―3年、
ヒトで80年
屋久杉だと遥かに長い
朝に生まれて夜には子供の世代になっているといたら、
朝に適応したらいいのか
夜に適応したらいいのか
分からない具合になる
もう少し長いほうがいい
線虫で3週間というのは
ずいぶんせっかちな話で、
季節によって宿主の食べるものも違うだろう
ショウジョウバエで3ヶ月というのも、
夏と冬では違うだろうから、
困ったものだ
3週間と3ヶ月が速すぎるといっても、
実際にそのような寿命なのだから、
合理的な意味があるはずだ。
長生き線虫よりも
3週間線虫が繁栄しているのは、
季節の変化よりも大きな何かのファクターがあるのだろう。
よく分からない。
その点ではラットやマウスで2―3年というのは適切な選択のようだ
ラットやマウスの脳は、文化を伝達するという程度のものではない。
文化を伝達するには人間程度の脳が必要で、
そうなると適切な寿命も異なってくる。
ヒトの場合は脳が学習する期間を考えると、
適応しているかどうかを選択するために10年くらいはかかりそうである。
その後で第二次性徴が始まり、
生殖期に入っていくのはまずまず合理的だ。
15年かかって蓄えたものを
15年かけて子供の世代に伝えれば、
50歳くらいになる。
50歳以降くらいはどう考えたらいいのだろう。
孫たちや集団の中の次世代とのかかわりということになる。
抽象的にいえば文化とのかかわりである。
自然状態で怪我をしたり
歯が欠けたり、
また感染症の事を考えれば、
とりあえず子孫を残すために17歳くらいまで、
育てる事を考えれば30歳くらいまでを考えればいいので、
なんとなく計算は合う。
適切な寿命というのも
誤解を招き易い表現かもしれない
現実がまず先にあって、
それについて、合理的な解釈ができるかどうかという試みである
うまく説明出来れば、
仮説が成功している可能性がある
説明できなければ
現実が間違っているのではなくて
仮説が間違っているのだ
だから正確には
適切な「寿命についての仮説」とは
ということになる
屋久杉の事を考えれば、
そのくらい長い期間で適応を考えてもよかったのかもしれない
人間だって結局氷河期を生き延びたわけだし
適応がゆっくりになるだけで
不都合はなかったのかもしれない