高校野球を新聞などで見ていて思うのだが
ジュニアチームなどを通じての選抜システムがいきわたっていて、
しかもそのあとの育成システムは、
個人的な信念というよりは、いろいろ科学的な方法論もあったりして、
最近はかなり収斂してきているのではないかと思う。
「伝統校」と言われるものの実態は、
強い選抜システムと強い育成システム、そして経済的精神的支援のシステムである。
だって選手は年ごとに入れ替わるわけだから、
残るのはスタッフだけなのだ。
だから、「スタッフ力」に関しては、「伝統校」という言い方も、「強豪校」という言い方も可能である。
常葉菊川・静岡がまたしても決勝に残ったのはどうしてなのだろう。
静岡は、身体能力の高い子供はサッカーに行くはずで、
しかし、それゆえ、静岡代表になるのはたとえば神奈川代表よりも、やさしいだろう。
そう考えれば、毎年代表になって登場したとしても、
勝ち残るのは難しいのではないかと思う。
金属バットになった時に、
どんどん打つ野球を進めて新しい方式とか、そんなものは今の野球にはありそうもない。
あったら、あっという間に拡がりそうである。
にもかかわらず静岡・常葉菊川はなぜ強いのか。
選抜システムがいいのか。
よく分からないが、少子化時代の学校生き残り戦略のひとつと考えれば、
悪くない投資だろうと思う。
スカウト、部長、監督、学生寮、生活指導、遠征試合、そんなものをセットにしておいて、
甲子園に行くから寄付金を下さいといえば、ある程度集まり、
そうなるとステイタスは確かなものになり、
勉強は出来ないけれど、地元の有名校だということになり、
高校だけではなくて関連の女子高とか小中とか大学・専門学校まで、
少しは宣伝になるのかもしれない。
選手は、そうしたシステムを通り抜ける存在であり、
また別の利益を追っている。
「選手」と「学校システム」は微妙に寄生しあって、「共生関係」をつくっている。