ネット社会とレストラン

レストラン経営については
いろいろなことが言われていて
たとえば

志を持ってはじめる。最初は一人一組だけのために料理してたりもしている。
いい食材を工夫して手に入れて提供したりする。
ある日雑誌で取り上げられたりして
味の分からない観光目的みたいな人たちも増える
すると経営者も考えが変わってきて
似ているが違うものを出すようになる
景色とか舞台演出が大切になる
値段も高い方がいいのだと分かってきて
商売に走る
そのあとは支店を出すかどうかするが
そのあたりで職人さんともめる
大手資本から買収の話が出る
その先は職人の世界ではなく投資と資本回収の話になる

ヨイショライターたちは
「かの有名な」「さすがに」「いつも期待を裏切らない」とヨイショを続け
その人たちの給料も
ワインの値段の中に含まれている

料理はいろいろと混ぜられたりすると素人には値段の合理性が分からなくなるけれど
ワインの値段なら後で調べればどのくらい利益を乗せているのかがよく分かる
無駄な説明をする人間の給料を差し引いても
労働者である自分があれだけ仕事に苦労して手取り給料を振り込まれ
その中から支払うには
やはり抵抗があるのが現実だと思う

世の中には別世界の住人がいるもので
経費で使うから領収書が出ればそれでいい人たちもいるし、
さらにそんなことも関係なく、
一食1万円やその2,3倍を自腹で支払ってもいいという人たちもいるから
どうして革命が起こらないのか不思議なのだが
特に東京にはいろいろな人が集まる

資産を持っているお年寄りになれば
使い切るのに苦労している
何もしなければ増えてしまい
自分は年をとるのに資産は勝手に増えるので
焦るもののようだ

地方のお金持ちがお金を使う場所も東京である
地元で使えば噂になるし税務署が見ている

そんなわけで
味の分からない見知らない客を
毎日相手にしていると職員の気持ちがすさんでくる

味の分かるいつもの固定客を相手にできれば職員のモラルも維持できる
でもそうではないので
ついつい偉そうな事を口走ったりする
「世の中こんなものか」と心底思っているので
言ってしまうらしい

満席偽装を毎日やらされていて
満席ですが幸運なことに空きが出ましたなどと言って
予約を入れた人が来店してみると
半分は空席だったりするのだから
誰でも気がつく
そんな客を毎日接待しなくてはいけないのだから
毎日気まずいのだ

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そうしたこと全体を考えると
やはり商売も難しいもので
世の中は難しいということになる

雑誌は昔、大手出版社の手になるものだったのであり、
大手出版社に就職する人間はやはりそれなりの志があったものだ

その人が社内の事情で雑誌に回されたとしても
やはりそれなりのレベルのものを書いていたと思う
活字には重みがあった

テレビグルメ情報がそれを変えたし
ネット情報社会がそれを変えた

そのような中で雑誌だけが良心的であることも経営的自殺である

連鎖する形で
良心的レストランは消える運命である
悪貨は良貨を駆逐する

他の業界のことは知らないが
レストラン業界に関して言えば
そんな感じではないかと空想している

それでいいのかと思うが
それ以外にどうしようもないだろう
ネット社会は
わたしたち一人一人の心を拡大しているだけなのだ

港区あたりの店の入れ替わりは激しいし
宣伝もあれこれと激しいようだ
しかしもうだんだん形容詞がなくなってきているし
写真を出そうにも新しいインテリアの趣向も難しいはず

不動産費と人件費を考えれば
難しいのも当然で
「先代のおかげで自社ビル営業です、他のテナントさんも満杯でうまくいっています」
なんていう店くらいは
無理な事をしなくても営業ができるのだろう