うつ うつ傾向 抑うつ うつ状態 うつ病
これらの言葉に定義があるかといえば本当はない
時代と流派によって異なる
クレペリンの教科書の第何版で言う「うつ病」などと使う
ティープス・メランコリクスで有名なテレンバッハの言う「うつ病」もある
ふさぎの病と固定したフレーズになっているかどうか知らないが古い日本語ならそんなところだろうか。
てん狂という言い方もあった。精神科病院はてん狂院と呼ばれた。
どんな人がどのようなことでどんな処遇をされていたか細かく見ないとなんともいえない。
DSMやICDはいわゆるdepression「うつ病」とは何かを研究するために
どうしたらよいかを考えるにあたり、
まず暫定的に取り決めておいて、
そのタイプのものにどんな薬が効くかとか
遺伝関係はどうかとか考えよう
そのうち本質が分かるかもしれないというもので
名前は暫定的なものでコード番号でもいいことになっている
うつ病、気分障害、情緒障害、感情障害、気分循環障害などとめまぐるしく変わっている。
双極性障害単極型という言い方さえある。
mood,affection,emotion,depression,melancholyなど。
ディスチミアとかバイポーラーⅠ、Ⅱとかはその周辺のものの呼び名である。
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これとは別に
日本語の運用としての
各言葉の区別とか語感がある
これは国民的辞書が指標になると一応考えられるが
それは一応であって
運用はさらにその応用になる
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人間が作ったものを
人間が法律で規定する場合などは
言葉の定義が可能である。
例えば、自動車について、税金を区別するために、軽乗用車と普通乗用車を区別したりする場合、
それは人間が決めればいいだけなので、
定義が可能である。
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しかしわれわれがうつ病やうつ状態と呼んでいるものの本体が分からない以上、
正確な定義ができるものでもない。
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たとえば各文化において
「雨を降らせる神」がいたとして、
各文化のそれぞれがどのように共通か違うかを明らかにする必要がある。
共通部分には何か本質があるのではないかというわけだ。
こんな話になると、共通部分は人間の脳の側の共通性ではないかという話になる。
神の共通性なのか脳の共通性なのかという話ならまた分かるが
うつ病の場合、精神現象について脳が考えていることの共通性ということになり、
なにか微妙なめまいを感じる。
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たとえば何を糖尿病というかについて、何を軽症というかについて、
時代につれて変遷がある。
変遷しようがないと思われている
解剖学的な名称についてもやはり変遷はある
最近になればかなり固定されているのだが
作業としては国際用語(ラテン語、英語、ドイツ語、フランス語)を日本語の用語に置き換える
解剖学会の委員会があって、
そこでほとんど孤独に作業は行われ、
しかし最近は改定てと言ってもあまりないので
ますます孤独な仕事ですんでいる。
解剖ともなれば、
実体も用語も固定された共通認識があるだろうと思えばそうでもない。
そもそも人体はひとつの受精卵から分化してできたものだから、
時間を追って見て行くとあるものとあるものを区別しきれない状態が存在する
例えば、筋肉と腱は当たり前のように別のものと思っているが
生育の過程ではひとつのものから分化するわけで
成体においても、仔細に、どこが境界かと言われるとはっきりしない。
腱は骨にくっついているわけだけれど
腱膜が筋膜に自然に移行して一体となっている
境界を指定しようにも無理というものである
人体に名づけるとか
症状に名づけるということの実質はそのようなもので、
軽乗用車と普通自動車のように区別ができるわけではない。
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セロトニンがどうとか言うなら、
素直にセロトニン減少症とかドーパミン失調症とか言えばいいようなものだが、
そこまで成熟した学説ではない。