ど根性

マンガ「巨人の星」では
主人公の努力がひとつの見せ場だった。

最近のマンガでは主人公は努力して練習したりはしないのだという。

努力して巨人のエースになっても
たいしたことないねえ
みたいな評論家的知識と態度が広がる。

金、女、権力、酒、拍手と賞賛。みんな現代の幸せとは遠いイメージなのだ。

夢は砕かれる。
新しい夢を見なくても生きてゆくことはできる。
ワクワクはできないけれど。

つまり生活はできるけれど
人生は創れない。

2008-9/1の夜9時半に福田首相がテレビで会見し、辞任を表明した。

日本人はそんなに難しくなくて
スッキリした目標を掲げれば
頑張る民族なのじゃないかと
ここ60年の経験から思うのだが。

ゆとり教育というのは
逆に言えば
才能があればみんなで伸ばすけれど
才能がなければ
努力してもあんまりいいことはないよと
宣告されているようなものではないか。

昔のように農業とか製糸工場や鉄工所など努力とど根性だけで
幸せになれますよという仕組みを作ることが
社会の設計というものだろう

勝手に儲かる「隙間」を見つけて頑張ってくれ、
時々は逮捕されます、
というのではよくないだろう。

さて、まじめに、ど根性で、二宮金次郎的態度で、幸せになれる社会設計である。
何をしたらいいのだろう。