「総理の会見は人ごとのように感じるという国民が多かった」という「中国新聞」の男性記者の質問に対し、福田首相が「人ごとのようにとあなたはおっしゃったが、私は自分自身を客観的に見ることができるんです。あなたとは違うんです」と答えた。
という状況で、福田氏はこれまで官房長官時代にも記者に対して特有の見下した態度があったので、ああまた、という感じではあった。
福田氏の場合、記者団と自分の関係、国民と自分との関係はどんな感じなのだろうと、すこし把握しにくいように思う。
場面に応じた適切な共感がないという点では福田氏と記者は同じだと思うが、もう少し細かくみることができる。把握は出来るが共感はできないのが福田氏で、把握も共感もできないのが記者だろう。
むしろ、福田氏は記者と国民の期待や予想を踏まえて、それを軽く裏切るような発言を繰り返してきたわけで、どんな情勢なのかはわきまえていた。相手を見下す、相手を尊重しない、皮肉で返す、このあたりは普段の記者団も相手を尊重していないわけでお互いさまなのかと思うが、背後には国民がいて、国民に対してのメッセージなのだということを、もっと考えてもよかったのかと思う。
暖かいユーモアというよりは、冷たい皮肉の人だった。
記者は今どんな情勢なのかを把握出来ていなかったと思う。福田氏は情勢把握は出来ていた。
しかし自分が何をすればいいのか分からなかった。あるいは、何をすればいいのか分かったが、自分の場合にそれが出来るようになるにはどうすればいいか分からなかった。小泉氏の大成功を真似るわけには行かないが、少なくとも小成功を得るにはどうすればいいか、各所の指摘から、分かってはいたが、自分には出来なかった、ということなのだろう。
このように解釈してくれば、
「人ごとのようにとあなたはおっしゃったが、私は自分自身を客観的に見ることができるんです。あなたとは違うんです」
という発言も、充分に納得できるものだと私には思われる。
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金メダルを取るように国民に期待されている福田氏であるが、
自分では客観的に見て金メダルが取れないことはわかっていた。
不足要素の分析も出来ていてレポートを何度も読んだが、
自分にはできないということもわかっていた。
能力の点でも性格の点でも偶然の情勢の点でも。
余計な皮肉を言うなといわれても、そんなことしか思いつかないし、衝動的に言ってしまう。
暖かいユーモアにしなさいといわれても、そんな言葉は考え付かない。
国民を熱くする言葉を短く繰り返しなさいといわれても、
そんな柄ではない。
「福田氏は死にもの狂いで取り組んでいますが、こんども金メダルは無理でしょう」と自嘲していると
「人ごとのようだ」と批判された。
辞任するという最後の会見でもまだしつこくそんなことを言う記者がいて、
やはりいつものように冷たい皮肉を衝動的に発言してしまった。
いつも同じで最後まで同じなのだった。
そうしか出来ないことを自覚していたし認識もしていた。そこまでは正しい。
「もっとがんばってもっとうまくやって金メダルを取れ」というほうが無理なのだと思う。