格差社会という
上は勝手によくなっていればいいじゃないか
下には関係ない
下が問題なのは
もう限界なのかということだろう
下の人たちは決して限界ではないとの議論がある
下の人たちはどのくらい努力をしているかと批判される
たとえば他人が遊んでいる時間に勉強しているくらいのことはしているのか
資格勉強をしているか
技能研鑽を積んでいるか
そうした努力を続けてもなお、最低賃金にも届かないのなら、社会制度が間違っている。
汗が報われない社会は悪い社会である。
そして但し書きとして、どのくらい汗をかいているかときかれる。
下の人たちは勉強しないし努力もしない
根気が続かなくてあき易いといわれればなかなか反論のしようもない
単純でつまらない労働を続けさせられているとあき易くもなるしミスも犯すようになるのではあるが
やみくもに時給の高い難しい仕事を担当してもらってもできるはずもない
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所得の再分配は、機会の平等と結果の平等でいえば、
結果の平等に近く、社会主義的・共産主義的な考え方になる。
個人の資質の優秀性も自然が与えた社会資源であって、個人のものではないのだ。
だから才能はすべての人のために役立てられるべきであると考えるわけだ。
しかし最近共産主義に勝利したとはしゃいでいた自由主義は
結果の差は個人の才能と努力の差であって、それは個人に属すると主張する。
しかし機会の平等は保障されるべきである。
そうでなければ、正しい競争にならない。
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そこまで言っておきながら、
相続税は100パーセントではないのだ。
仮に相続税を100%にしたとしても、
生きているうちに子供たちに特別な恩恵を与えるはずだ。
その分は金持ちの側のアドバンテージになる。
しかし最近の風潮として、
勉強してもたいしたことはない、
金持ちの二代目の方が楽しそうだという考えもあり、おもしろいことだと思う。
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機会の平等なんていうもの
嘘八百のフィクションである。
親の年収が高いほど成績はいいとデータに出ているのだから。
これは試験の仕方が悪いのかもしれない。
機会の平等は保証して
結果の格差は100%認める、
これはリバタリアン的である
アナルコ・キャピタリズムの立場では
相続税は100%にして、
全員ゼロからスタートして
頑張ってもらう。
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いずれにしても、
本当に日本の国際戦略資源となるような頭脳を探し出して教育するしかないのである。
遺伝論の立場から言えば、
概ねは知能も遺伝するが
突然変異もかなりある
むしろ品種改良に必要なのは
突然変異であるということも確かなのである
したがって比較的貧しい家庭に生まれた有用な突然変異個体を早く見つけて大切に育てる必要がある