みなさんは
ネットであんなに激しい言葉を書いて
あれこれかき回している人が
実際には普通のいい人だったという経験はあるだろうか。
あるいは逆に、実際はとても困った人なのに、
ネットの世界ではきちんとして良識ある振る舞いをしているという例を
経験しているだろうか。静かないい人だったりするものである。
現実にはほぼ破滅している作家さんが、
作品として文章を書くとなかなか品格があったりするのはこのタイプだろう。
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1.ネットではかなり大変なのに現実には温厚
2.ネットでは温厚なのに現実にはかなり大変
このどちらの例が多いだろうか。
私の主観的な感じでは、
現実には普通の人間、
しかしネットの中ではかなり激しい人間、
という例が多いように思う。
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ということはつまり、
ネットは人間の奇妙さを拡大するといえる。
逆に、かなり奇妙な人でも、現実の社会生活ではほどほどに抑制がかかるものなのだと理解できる。
一言で言うと「ネット社会は人間の攻撃性を増大させる」と考えられる。
これは匿名性とも関係するとは思うが、たとえば、電話での人格と現実の人格の落差を感じさせられる人もいて、
これは匿名性ばかりが原因ではないだろうと思う。
自動車に乗ったときに非常に攻撃的になる人がいて、
そのような場合の人格の変貌が、
ネット社会での人格変貌に似た事態かと思っている。
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抑制は、
家庭生活や学校生活でしつけられた部分が多い。
今後の社会では
家庭のしつけも学校のしつけも薄くなるので、
ますます奇妙な人の奇妙な振る舞いに遭遇することが多くなるだろう。
公共交通機関などが一番頻度が高いだろう。
目的地についてしまえば、
そこから先はある程度社会経済的に区別のある場所になることが多く、
どんな人でも混じってしまうということがない。
最近は飛行機や新幹線の高いほうの席でもさまざまな人がいるので
驚いている。
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ネットというものは
自動車のようなものだというのは
正しいと思う。
人間の持つ一部の性格傾向を極端に拡大してしまう。
本人はそれを客観的に見ることができず、衝動に動かされて行動してしまう。
それはたぶん教育の問題である。
ネット社会の中で、あるいは自動車運転中に、
人間はどう変るか、そしてその結果どのような不利益があるか、
それをきちんと教育して、自分の客観的な姿を見失わないように教育することが必要である。
他人の様子を見て、こちらが不愉快になったら、
それを自分のことに置き換えて今後のことに生かすという、
「お母さんと一緒」で放送しているようなことが
まだまだ社会では教育されていない。
特にネットや自動車などの
人間の脳や筋肉の大幅なパワーアップを実現する機械を前にして、
どのように接することが必要かを知り、
どのような自分がいま出ているのかを知ることは大切なことだ。
自動車から降りてきてけんか寸前にまで起こっている人たちと、
ネットの中でひどい言葉をやり取りして人生を黒く染めている人たちとは
共通点があるように思うのだが。