朝日新聞8/31-2008より
土浦連続殺傷(2008-3-23)容疑者(24歳)捜査関係者に語る
・死んで魔法の世界に行きたかった
・自らを「特別」な存在と思い込む一方、現実社会とのはざまで不満が募ったと見られる。
・魔法の世界は現実とは違い、自分は特別な存在になれる。すべてが自分の思い通りにできる。だから死にたい。
・死にたいと思うが自殺は痛いからいやだった。派手な事件を起こして死刑になりたかった。
・自分がすべてだ。世界も人も自分のもの。だからこそ自分の終末は自分で決める。
・もう一台持っていた携帯電話から自分に送信していた。
・仮想世界と死へのあこがれは高校卒業後、コンビニでのアルバイトと自室でのゲームという生活を繰り返す中で、日に日に強まっていったとみられる。
・家族とはほとんど口をきかなかった。父は会話を交わすかわりに、時折、文庫本を差し入れた。
・世が世ならば、自分はもっと高い地位にいたはずだと思い込むようになった
・現実から逃げたかったと心情を吐露した
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このような記事に接して、
態度が二つある。
一つは、これは極端で特異なケースではあるが、ここを窓として、社会全般の動きを察知していこうとする態度。これは一般化。
もう一つは、あくまで特殊なケースであるとする立場。反一般化。
昔から思考の形式と内容を区別して考えようとする立場がある。
上の例で言えば、
思考の形式としては、自分で自分にメールを送るという自閉の度合いである。
思考の内容としては、自己愛的なものである。
内容は時と場合によって違うものが挿入される。従って環境を推定する材料になる。
上の例とは違うが、
精神科病院における入院患者の妄想内容も、
自分は天皇の子どもだ、マッカーサーの子どもだ、田中角栄の子どもだ、ビル・ゲイツの子どもだなどと、時代を反映している。
この場合は誰かの子どもであるという妄想の形式が一致している。
ネット社会で流布しやすい内容物としては
自己愛的な内容が多くなるのだろうという印象はある。
そのようなものに日頃接していれば、
精神の隙間ができたときには、そのようなもので満たされることが多くなるだろう。
敬虔なカトリックの雰囲気とか
信心深いイスラムの雰囲気とか
そんな中でなら違う言葉を吐いていただろうとも思う。
内容に引きずられない方がいいと思う。
天皇、マッカーサー、田中角栄、ビル・ゲイツの誰にも責任はないと思うから。