朝日新聞朝刊に意見が載っていて、
考えさせられる。
日本人は子どもが嫌いになったのかと問いかけている。
少子化の中で、子どもの存在が希薄になり、大人が子ども嫌いになっているのではないかという。
うるさくて分別がない
お金がかかる
危険なことをする
噴水を見るとはしゃいでうるさいので噴水を止める
騒音対策で児童館では夏に戸を閉めたまま
小中学校ではクラブ活動で大声禁止
公園ではサッカーとキャッチボールが禁止
大人の側が子どもとのつきあいをやっかいに感じ始めているのではないかという
子どもは元々大人とは異質なもので
大人はみんな昔子どもだったとはいえ
忘れてしまっているはずで
異質の他者である
だから身近につきあわなければ理解はますます難しく
関係は困難になる
出産、育児、教育と外部委託が進行し、家庭の役割は薄れている
戦後、子どもは家制度を離れて、「私的」な存在となった
都市化、高学歴化、女性の社会進出があり、
子どもとの関係はもともと「楽ではない」ものなのに、
「私のためだけなら」「いなくともよい」存在だという。
費用対効果を考える市場社会の価値観でいうと、
投資される時間とお金と労力に
成果が見合わない。
苦労しても雇用も生活も安定しない。
子どもを育てるのも苦労ばかりが見えているので出産は避けたいというのだそうだ。
近代化を達成した近代諸国はどこも出生率が低い。韓国が典型的だ。
生まれた子どもには彼らなりの成長の難しさがある。
そもそも、生物学的にはもうとっくに母親父親になっているはずの年齢の人が
これから結婚しようかと相談しているのだから大変なはずだと思う。
適齢期なんかをいうのは時代遅れだし間違いだとは思うが
しかしそれでも
子どもを育てるという忍耐の必要な時期を過ごすには
ある程度のトレランスのある時期が必要で
それを過ぎるとたぶん自分を安静に保つだけで
いっぱいになるのではないかと思う
高齢出産の後は高齢子育てでその後は老老介護が待っていて
と考えるとほぼ絶望的
だから外注にもなるとは思う
最近はたぶん産むことに決心が必要で
産まないことはモラトリアムの一種なのだと思う
昔は決めないでぐずぐずしていれば産んでいたものだろう。
アイデンティティがはっきり分化してはじめて
産んで育てることを選択できるのではないか
もちろん社会経済的諸条件が大きいとは思うが
心理的状況も少子化に拍車をかけているようだ
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ばかばかしい意見だけれど
大学と大学院と6年くらいとして
その在学中に二人くらい育ててしまえば一番いいのかもしれない
その後のキャリアが途切れなくてすむ
大学生ならば赤ん坊を連れて歩いてもまあまあ許されるような気もする
このようなことはみんながシンクロしていれば自然にそう思うし
制度も整ってくると思うので
何かきっかけがあればと思うが
しかし20歳で配偶者選択するのは現代では無理だろうな
この難点を解消するために
人生で複数回結婚しようという提案はある
一回目は年上の人と、二回目は年下の人と、というようにクロスさせるのだ。
三回目は年寄り同士でいい。
20-40歳で一回目、相手は40-60の人、若い方がもし女性ならここで子どもを二人くらい
40-60歳で二回目、相手は20-40の人、年取った方が男性ならここで相手に出産してもらう
60を過ぎたら60同士で最後の結婚
経済的にも豊かな年代で失産と育児ができる
従って、趣味のサークルで、男性20-40、女性40-60の園芸サークル、
女性20-40、男性40-60のプリザーブド・フラワーサークルを作り、
その中で徐々に愛がはぐくまれればいい。
世の中のことや男女のことを教えるのだ。
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セックスは家族制度からある程度自由になりつつあるけれど、
子供を産むということはやはり家族制度の内部での話のような気がする
フランスがシングルマザーを援助しているというのは
家族制度からかなり自由になったということなのだろうか
カトリック教会とどう折り合いがついたのか?
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もっとばかばかしい話を続けると
混血主義は有望だと思う
今まで出会わなかった遺伝子同士が出会って
新しい遺伝子セットが生まれる
それはすてきだと思う
父親が日本人で母親は北欧で
目が青くて日本語ネイティブで
短歌を作ったりして日本語を継承してくれて
里帰りは大騒ぎ