ずっと昔はDNA原理が生物の世界を支配していた
いまでも全般にそうだ
生物が人間に近づくにつれて
DNAの生存のために脳を発達させた
現在の少子化現象は
脳原理がDNA原理を超えてしまった結果のように思われる
利他主義や自殺については、脳原理よりもDNA原理が優先していると計算する見方もある。
したがってまだDNA原理の範囲内であるとされる。
DNAが喜ぶよりも、
脳が喜ぶ選択をしているとしたらどうなるか
もともと脳はDNAのために発生して選択されてきたものだったのだから
ここでは明らかに倒錯が発生している
この倒錯は多分袋小路である
脳が脳を自己保存して生き延びるくらいしか方法はない
脳が自分の情報をネット空間に記録して
擬似的に生き延びる
脳の本体は情報であるからそれで充分生きていると言える
その時点でDNAからは独立したと見なすことができる。
これまでも、人類のすべての知識の図書館という仮想的な空間を考え、
各個体の脳はその総合図書館から学び、後にその拡大に貢献することで、生きていると考えることはあった。
それはそのままネット社会と見なして良いだろう。
その場合、各個体の脳が、もともとDNAのためのものであり、現実に腸管栄養に養われているのか、
脳と同等の機能のものが、太陽電池で養われているものか、
ネット社会・総合図書館からみたらどちらでもいいことである。
脳を含む人体がDNAの乗り物だった時代を過ぎて、
脳が原理の中心に座る
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しかしその場合、
個々の脳はネット社会・総合図書館に奉仕しているだけとも考えられ、
生き延びる「実体」・本質はネット社会・総合図書館だろうとも考えられる。
DNA原理にしても脳原理にしても
自由意志はあまり尊重されず、という点では変わりがないようだ