グーグルストリートビューが問題になっていて
プライバシーがどうなるのかとのこと
規制もしようとのことだ
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ネット上で自分の望まない情報が公開されて困っている人はたくさんいる
その苦しみはそのままに置いておいて、
グーグルストリートビューだけがどうしてやり玉に挙げられて
しまうのだろうか
たぶん、グーグルという一企業を叩けばすむからだろうか。
公道から撮影したもので、写っている洗濯物とか乗り物とか、いろいろと困る人もいるだろう。
何が困るかについては人ぞぞれだと思う
共通していやだと思うものは掲載を遠慮すべきだった
公道からの撮影は、一応、問題はないとされ、
しかし一定の配慮は必要であり、一般に問題ないと考えられる場合でも、
被写体からの要望があれば、その意向を尊重すべきだと思う。
路上研究会と称して写真を断りなく撮って解説をつけたとしたらやはり問題なのかな。
本人が見ないからいいのかな。よく分からない。
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しかし
気になるのはマスコミの気を遣う方向の違いである
みんなでグーグルを叩くのには賛成する
アフラックのコマーシャルは流し続ける
(病気になっても保険金を支払わない会社のひとつ)
個人がネット社会で悪口を書かれて死ぬような思いをしていても放置
実際に自殺する人がいても
ネット社会の道具としても「未熟さ」を問題にしないで悪口を書いた人の個人的な責任にする
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もっと極端に例を挙げれば、
自動車事故で死んだことを滅多に報道しないし、
報道しても運転者がひどかったという観点であり、
自動車の性能とか
道路のあり方とか、そんな話にはならない。
今回のことでグーグルを責めるなら(当然責めて正しいが)、
トヨタはなぜ時速80キロも150キロも出るような車を発売しているのか、責めてほしい。
そもそも普通の道路の制限速度以上が出ても無駄なはずではないか?
スーパーまで用を足すなら最高時速30キロの車で充分だし
もっときちんとブレーキのきくものであるべきだし、
脇見運転や居眠り運転、飲酒運転に対してもっと対策できるはずではないか。
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グーグルの一件はグーグルという会社の問題にするのではなく、
ネット社会全体のあり方の問題であるはずだ。
なぜそのようなとらえ方をしないか。
ネットという道具をどう使っていくのかの問題だ。
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望みもしないのに自分の家が写っていることはいやだとの気持ちは分かる。
もちろん、外を歩けば見える景色なのだから、問題はないとは言いながら、
あるタイミングでなにかが起こっていたとしてそれを見られてしまうのはやはり問題がある。
誰がどちらにどんな格好で歩いていたかなど。
一歩進めて、
そのようにいやな思いをしたのなら、
他の誰かが学校裏サイトで攻撃されている事態をもっと自分の痛みとして
感じてほしいと思うのだ。
大人が社会を守らなければならない部分もあると思う。
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それにしても、明るい方向に考え直して、
グーグルストリートビュー・おもしろコンテストとか
びっくりコンテストとかやればおもしろいと思う。
路上研究会を、道路を歩かなくても開催できるはず。
世の中にある変なもの、おかしなものがいっぱい写っているはず。
その点では画期的におもしろいはずなのだけれど。
偶然歩いていたとか
偶然何かを運んでいたとか
偶然が永遠になってしまうのが問題だ
しかも演出したわけではなくて起こってしまうのだから興味深い