朝日新聞武藤敏郎氏インタビュー。
非常に明快。記事をまとめる記者がうまいのか。武藤氏が明晰なのか。
武藤氏でさえなお、「バブルの最中に、それがバブルだと認識するのは、ものすごく難しい。」と語っているのだから、やはりそこに壁があるのだろう。
*****
今から見れば、危機に陥った理由はすべて合理的で、納得できる。なのになぜ楽観論ばかりが支配していたのか。それは、危機の前夜に、きわめて長期の繁栄があったからだ。
世界経済は04年から4年間、平均5%成長した。この30年間なかったことだ。物価や金利は安定し、米国では「ゴールデイメックスエコノミー」という言葉がはやった。小熊が食べるのに熱すぎず冷たすぎず、ちょうどいいという意味。それが今の経済だと言われた。
バブルの最中に、それがバブルだと認識するのは、ものすごく難しい。投機の対象がチューリップの球根の時もあれば、土地の時もある。バブルは常に個性的なだけに、見極めにくい。
新興国が高成長を実現し、所得と貯蓄が急増したが、国内で投資対象が不足し、「世界的な貯蓄余剰」が生まれた。
今回の危機は、従来の規制や監督の枠組みの外で起きた。証券化商品や、それを世界に売りまくった投資銀行は、FRBの監督を受けなかった。
たとえばメキシコは米シティバンクに金融を全面的に依存しているが、自国の銀行ではない。一方、米国当局も、シティの海外活動は見えない。結局、どこもコントロールできていない。
こうした例を見ても、グローバル化で新しい枠組みが必要なことは明らかだ。大恐慌後に銀行と証券の分離や預金保険の制度が実現したように、世界の金融の新たな公共インフラを、数年がかりでどう作り直すのかが課題になる。
銀行への公的資金注入も、横並びで実施しなければ、市場も狙われて株価が急落する。もはや一国だけ「我関せず」ではいられない。
欧州のように、公的部門が雇用や社会保障でそこそこ力を発揮するモデルに収斂していくような気がする。
国民負担率(国民所得に対する税と社会保険料の割合)は、従来の35%程度では無理が生じる。
いまは将来世代からの借り入れで欧州並みの中福祉を得ているが、このままでは限界が来る。
歴史を振り返ってみれば、今回の危機は、日本が欧州型に近づいていった転換点だった、ということになるかもしれない。
*****
すべての言葉を心理学的な事実への比喩と読み替えることができそうなくらいである。
バブルは常に個性的なだけに、見極めにくい。
世界の金融の新たな公共インフラがどんな形のものになるか、
まさに国益をかけての交渉になるはずだ。