過酷な現実に遭っても
たとえば過酷な現実は職場を奪い、事務所は消えてしまった。
幸福は消え去らない
たとえば思い出はいつまでも消えない。人の絆は生き続ける。
たとえばそのことであなたは過去に生きているというなら、
その通りだ。私は自分の過去を大切にして、未来を生きていく。
それは誰にとっても当然なことだ。
その程度も理解できないなら
別々の空間で交わることなく生きた方がいい。
お互いを幸せにしないから。
聖書にいう。自分が正しいというとき、あなたの目は見えなくなっている。
私は自分が正しいとも
あなたが間違っているとも言わない。
知りようのないことに属する。
しかしいずれにしても二人の生活が交わっていることは不幸をもたらすだけだと思う。
益のないことだ。
わずかしか生きないこの地上の生をもっと大切に敬意を込めて扱おうではないか。
そして過酷な現実に遭っても幸福は消え去らない
誰かの力でそれは砕かれたとしても、
それが黄金であることには変わりがない
誰かの力でそれは汚されることもあるかもしれない
しかしそれが誠実な織物であることは変わりようがない
後生の誰も、価値を毀損することはできない