夫婦で教育方針が合わないという悩みも少なくない
教育方針というほど大袈裟でなくても、
子どもへの接し方とか、
どこまでやりたい放題をゆるすかというような、
限界設定の問題のようだ。
結構素直に親が感情表出する場合もあるし、
子どもが一方的に感情的である場合もある。
いろいろな組み合わせがあるものだ。
父親が母親に、もっと優しくしてやればいいだろうと注文をつける例もよくある。
教育方針でいうと、親がどんな教育の原理や指針を持っているかといえば、
忠君愛国でもないし、イスラームの子でもないし、
考えても結局、子どもの特性を把握し、で決めるだけのびのびと育てる、位のことになる。
そこで次々に習いものをさせて、才能があるかどうか測定し、
そんなことを短期間したところで結局先生や周囲の子どもとの相性のほうが
大きな要因で才能などは測定しにくいわけだが、
そのうちにお受験がはじまり、みんなそれなりに収まるところに収まる。
その子の特性を生かすといえば聞き慣れた言葉ではあるが
要するに子どもの自己愛を満たすことしかしていないわけだ。
親としては、自己愛以外の普遍的な価値を自信を持って押しつけることができない。
もちろん、押しつけられるのは迷惑だから、
押しつけない方が上等だけれど、
結果としては、自己愛の肥大を招く。
そのうちに子どもは支配的依存を始める。
物質的身体的経済的には依存しているのに、心理的には支配しているのだ。
現実の親子を観察していると、
一方的な支配というものでもなくて、やはり依存し合い共存しているのである。
一体のものとして、その時々で役割を分担しあっている。
そのようにしてお互いを補完し合うことが人生のすべてになっている。
普通はそれだと経済的に困るけれど、他に収入があれば、それだけで生きていくことができる。
幸せなのか不幸せなのかすぐには分からない状態だ。
だいたいは母親と娘が一体になる場合が多い。
家族をユニットとしてみれば、現実的な交渉は父親が分担し、
母親と娘は夢を見ているだけでいい。
言い方を変えれば、都合の悪い現実を心理的に歪曲して、共同で幻想を作り出している。
たった一人の思い込みよりはずっと楽で自信も持てるらしい。
強烈なわがまま二人組で、これに対しては父親としても力が行使できない。
家庭では母娘の二人組が圧倒的に優位だからだ。