我々が日々接している現実はメディは発達のあとでは拡張し続けている
リアルでもバーチャルでも脳にとっては情報処理で
1時間は1時間ということになる
江戸時代を考えれば
耳にする事件は極端に少なかっただろうと思う
マスコミは存在しなかったし
言い伝えで伝言ゲームをしているうちにどんどん変形し
それは情報というよりはお話になってしまったものだろう
江戸時代のバーチャルは多分朱子学とか陽明学とかそんなものではないだろうか
江戸の現実と関係があるようでないようでやはり結局バーチャル
現代は非常に緊急で重要な事件が次々に起こる
事件が起こるとそのことを専門に研究しているという人が必ずいて
だいたいはカツラを付けてテレビで何か話す
キャスターは徹底的に絶対とか言い続けている
キャスターの言葉はもうすっかりハイパーインフレで聞いている方はなんといわれても驚かない
人気投票をすれば組織が動員されて
多数形成を根ざす
世論調査では質問項目に微妙な手加減が加えられる
ニュースの言葉も時間も順番も
編集権により決定される
編集権は誰が管理しているのか不明確である
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脳にとってはバーチャルな情報という区別はあまりないし
現実にゲームを現実と思う人はいないだろうが
ニュースを現実と思う人はいるだろう
そうではなくてニュースは新聞やテレビ局が再構成したもので基本的にバーチャルで
その中から慎重にリアルを探さなければならないということになる
国語の読解のように素直に筆者を信頼して読めばいいというものではない
いろいろな事情が背景にあって記事と解説ができているのだから
背景にある力の動きをそこに読む必要があるのだろう
バーチャルの奥にリアルがあるという構図になる
そのような意味で「現実」は拡張されている。