会議中の私語 了解不能な他人

若者は子どもの頃から私語を注意されない環境で育ってきた。大学生になっても講義中に私語をしている。
年よりは昔は私語をしなかったのに現在は会議中に私語をしている。

これは一体どう言うことなのだろうかといわれていて、
たぶん、テレビを見ていて、食事をしたり、話をしたりで、ながら族になっていて、
授業や講演会もテレビと同じ感覚ではないかといわれたりもする。
しかし他人に迷惑になるのは明白だし
自分の部屋ではないのだから
区別はつくだろうともいわれていて、
なぜなのかよく分かっていない。

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会社での会議中にも問題になるのだが、
大学でも講義中の私語が話題になっている。
注意しても学生さんは私語をやめないし携帯もやめないという。

90分くらい我慢すればいいのにと思うが、それに講義を聴きに来ているのだからきちんと聞けばいいだろうと思う。
聞くのは嫌だが出席だけはしていたいというなら迷惑にならないように静かにしていればいい。

前の方で講義に集中したい人から意見が出て、教室の後ろに固まった人たちが私語をしてうるさい、静かに講義に集中したいとのこと。
大学側は講堂の後ろのほうに係員を二名おいて、私語を注意し、携帯使用を注意しているらしい。

嫌なら講義なんかでないで自分で勉強すればいいし、
出席点が必要といわれるなら、自分は出席するよりも有効に時間を使うからといえば、
強制はせずに試験だけで点数がもらえるのではないかと思う。
勉強しても理解できないのは本人の責任ではない部分が大きいので、
何とかしてあげようということで、講義も工夫するし、場合によっては出席点も加味することにして、
単位をあげたいと思っているはずだ。
そこまで配慮してもらっていながら邪魔をするというのはどういうものかと話題になる。
邪魔をしている気持ちもあまりないというのが実際らしい。
90分の間も携帯の電源を切っておけないのだから
もう価値観が根本的に違うのだろう。

会社ならばさすがに少人数ではあるし、誰かが頭に来るとして、上司に言いつけるので、上司はさっさと評価を減点することになり、それが怖いのである程度は抑制になる。
会議中に仕事はないけれどノートパソコンで他のことをしていたりするので、
大事な話の時には、「ノートパソコンは閉じて、携帯も切って」と前置きして集中させるらしい。

このような傾向は最近はお年寄りも同じで何かの会合でずいぶんお年寄りで地位もある人で、全く人の話は聞く気がなくて、これは俺は偉いんだということの示威行為なのだろうとか思ったくらいだ。
この人が小学生だったときはきちんと私語なく先生の話を聞いていたはずだ。

学級崩壊を防ぐために壁のない学校というものがある。
実験的な試みだと数年前に聞いた。
学級ごとの壁がなく、いくつもの学級が体育館みたいな広さのところで
それぞれの勉強をしている。
うるさくて大変らしいのだが、
それでも、誰かが暴れていたりすれば教員はそちらに一気に集中することができて、学級が孤立して崩壊しないですむ。
ふらふら歩き回る子がいてもいずれにしても視界の中にいるから大丈夫らしい。

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テレビを見る態度の延長だろうというのは分かるけれど、
まさかいまテレビなのか講義中なのか区別ができないはずはない。
理解できないというのが本当のところだ。

一体どうなっているのか。
そのような「了解不能な他人」が実際増えていると思う。