お金をばらまいて生産者ではなく消費者を作る

お金をばらまいて消費者を作るというのは
確かに一つの流儀である
供給は過多である。需要からコントロールしようというのだろう。
一つの理論である。
でも、だからといって、無駄なものを買わないでしょう。

それにしても考えるのだが、我々は、たいていの場合、
生産者としてではなく、消費者として教育されているのだ。
主にテレビで。
お父さんはサラリーマンで生産者だけれど、お母さんと私たち兄弟は消費者なのだ。

何かを作れ!という号令は出ない。
何かを買え!という号令は発令される。

国民にできるのは何かを買うことだけなのだ。
足萎えである。
お金がなくなれば終わりの消費者を今回も演じさせられる。

しかし消費社会は買う人がいなければ成立しない。
政府は国債を印刷して将来の国民からお金を借りて、現在の国民にお金をくれる。
つまり国民はバカのふりをしてお金をくれないと使いませんといっていればよい。
働くと税金を取られるので、働かない。すると経済が回らないので、政府はお金をくれる。
選挙で危ないとなればなおさらである。一票は権力の源泉である。
一票をいかに高く売るか、それが国民にとっての資源になる。

大量宣伝をしてみんなが同じものを欲しがる世界ももう終わったようだ。