わがしる人にてある人の、はやう見し女のことほめ言ひいでなどするも、ほどへたることなれど、なほ憎し。まして、さしあたりたらむこそ思ひやらるれ。されど、なかなかさしもあらぬなどもありかし。(枕草子)
自分と今関係している男が、以前関係のあった女のことをほめて話し出すのも、年月が過ぎたこととはいえ、やはり憎らしい。まして、現在のことだったらどんなであろうかと思いやられる。しかし、かえってそれほど憎らしくないこともあるものだ。
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されど、なかなかさしもあらぬなどもありかし。
やはり清少納言は、最後の一句が効いている。
本当のところ、わたしにはよく分からない。
一応は分かるけれど。推定すると、
現在のことであれば、それは二股ということだから、完全にキレル。
しかし、また考えてみれば、現在の女に関しては、幻想がかぶらない。
昔の女は時間の中で美化されて、どんどん純化する。
思い出は理想化する。
そんなものにかなうはずはないし、わたしの嫉妬は、著しい。
一応、そう思える。
しかしながら、
思い出の彼女は理想化されているのよなどと、
簡単に決め付けないで欲しい。
本当に、この世のものでないほどの、一瞬があったのだ。
彼女を失ったことを今でも本当に後悔しているのだ。
男はそれが事実だといい、
女はそれを理想化だという。
決着はつかない。
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男が以前関係のあった女のことをほめて話し出すのも、
この頃からあり、女はそれを憎く思っていたというのであれば、
あと千年は変わらないだろう。
女は、男とはそういうものだと思うしかないだろう。
そんなことをいう男はかなりうっかりしているのだけれども、
どうも本性の一部らしい。
本質的に男はコレクターなのだ。
愛を育てるのに適した男と、そうでない一瞬のモテ男がいるものだ。
女はそれを見分けなければならない。
落ち着いた愛と、はしゃいだ恋は、別のもので、相手も別なのだ。
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男も女もさまざまだ。
見分けることだ。
わたしは、外からは見えない部分の、微妙に湧いて出るやさしさが好きだ。