もやいの碑やもやいの会に携わる人が
新しいお墓のあり方を提案。
磁気カードを挿入するとディスプレイに故人の映像などを映し出す電脳墓石「翔天」。
家庭のパソコンから墓参できる「サイバーストーン」。
焼かれた骨にはDNAも残らない。
墓に骨を納めるよりも
電脳世界に記録を残す方が
よっぽど故人のアイデンティティを後生に伝えることになる。
自分の葬送を生前に決める死後の自立という考え方。
葬式はみえ。
墓は昔は財産、今お荷物。
DNAを残すなら、遺骨ではなく遺髪を保存した方が理にかなっている。
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科学の進歩で死生観も変化しているということのようだ。
ただ、DNAが個人のアイデンティティなのかという点については
もちろんそんなことはない。
体の全部を人工臓器に置き換えても、その人はその人だ。
むしろ脳が何を語るかがその人そのものなのであって、
脳の記憶と働きのすべてということになるだろう。
このあたりはDNA主義と脳主義で考えが違うことになる。
しかしこうして考えているのが脳である限り、脳に有利な議論になるはずだろう。
脳のすべての情報をスキャンして蓄えておくことができれば、
生物として生きていなくても、その人のアイデンティティは保持できるとも言える。
そこまで技術が発達しなくても、もしその人が今いたら何を言いそうか、その集合体を考えれば、
ほぼアイデンティティに近いだろう。
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しかしそんなものを考えたとして、
いつまでもその人にそばにいて欲しいと周囲の人も思うはずもない。
そこまで自分にこだわっているのは自分だけで、
それが自己愛である。
たとえば最愛の息子を亡くした母親などは
そのような形の人格の存続も望むだろうと思うが、
それは厳密に言って、自己愛の延長だからという議論もある。
夏目漱石全集などをずっと読んでいれば
こんなときに漱石先生ならばどんなことを言いそうか分かりそうだ。
トーマス・マンの日記なども興味深い。読む時間も根気もないけれど。
フロイト全集や書簡集なども全部に親しめば相当な勉強になる。
しかし簡単ではない。
ほんとうにフロイトは「書き魔」だった。