堀田善衞「ゴヤ」14

〈引用〉おれはまだ学ぶぞ。
●何という健康な肉体と精神だろう。
●もともと健康なのだといえばその通りなのだが、なにか根本的な楽天性とか、鈍感とか、そんなところがあるのではないか。くよくよしない、過敏にならない、そのような特性が有利なのかもしれない。

●表情が気味が悪いのだ。そう思っていたが、昔の写真を見たりすると人間の表情はこんなものだったようにも思う。多分、そうだ。

〈引用〉69歳のゴヤは営々と働いている。不安と危惧の日夜をまぎらすためには働くより他に方法はない。
●働くことは精神安定剤である。
●働くということは、つまり、人体でたとえれば、肝細胞になって全体に奉仕しつつ、自分も生きられるということだ。体細胞生物になって生きていくよりも、生存確率は上がる。しかしそのためには、自主独立の細胞でいることは諦めて、特殊細胞になる必要があるのだ。それがいいとも思わないが、それ以外に生き残る展望を持ち得ないようだ。

〈引用〉これは絵画芸術ではない。なぜなら第一に、ここには、したり顔で読みとらねばならないものがひとつもない。第二に、含意するところの意味がない。そう、正統派の画家たちはつぶやいて、もう見向きもしない。
●版画集「闘牛技」と地下画帳のすばらしさ。一瞬を描き止める技。2000分の一秒のシャッターチャンスを正確に決定している。
●版画集「妄」では、かなり奇妙なことになっている。狂気や暗黒に近い。しかしそれは精神が暗黒なのではなく、現実が暗黒なのだと思われる。それは現在も本質は変化していない。

〈引用〉「妄」と「黒い絵」は精神病理学者の好餌となっている。しかし難解な医学用語の羅列以上の成果は上がっていないようである。
●このよう総括されたのでは、どうしようもない。多分、その通りだろう。
●そして、その程度のことしかできないことが明白であるような人たちが、病者については、診断も治療もしている。「難解な医学用語の羅列以上」のことができているとは想像できないのだが。