幸せな場所

勘違い型うぬぼれというものは
まわりには迷惑であるが
本人にとっては自分をすごいと信じているのだからかなりこころがぱんぱんでいい状態である

もちろん現実を認識する能力があれば、
自分が中学ですでにに肘を痛め、中学大会でさえ勝てなかったということは客観的には何を意味していたのか、分かりそうなものである。
ほかのスポーツもすごいとはいっても、大会で実績があるわけでもなく、
ただ自慢話をするレベルのことである。
島根の田舎中学で始まって以来という話が、どの程度のものなのか、
分かりそうなものである。
しかしそれを重々分かっていて、その認識については、回避しているのである。

分かるはずなのに分からないようなふりで、通してしまう。

だから自信満々と現実否認がセットになっている。
本人は幸せだろう。

いや、やっとかろうじて、幸せな場所を見つけたというところだろう。