法律と倫理の間

お金とか嫉妬心とか世間体とか
難しい問題も世の中には多い

恨みを晴らしたいと思うことも多いだろう
宗教は赦せという
私も赦せと言うだろう、最終的に
あなた自身の人生を無駄にしないためだ

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経営者はどの人も解雇を言い渡して人件費を圧縮している
従業員は困ると思うが
これも自由競争社会の必然だと割り切るか

あるいは松下幸之助の言うように
従業員は家族なのだから助け合いいつまでも家族でいるようにするのがいいものか

悩んでいることだろう

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ジョークの一つにこんなのがある
アメリカ人は法律で禁止されていること以外は何をしてもいいと思う
ドイツ人は法律で許されている以外はすべて禁止されていると考える

この対比はおもしろくて
法律は倫理の最低限の明文化だという昔からある素朴な考えに基づいている

日本は昔はドイツ流だった
法律では許されているとしても人の道として許されないという考えが強かった
現在はアメリカの一部の人たちの考えで
法律を守っていればあとは自由だと考える人たちも多くなっているのだと思う

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もし、法律では許されているが、倫理感情としては抵抗があると思った場合、
是非、倫理感情に従うべきだと思う
それが人間として正しい道だからである

多くの場合は法律が不備なのである

不備な法律を盾にしてこれは許されていると言い張っても仕方がない
時間が経てば後悔がにじむだろう

他人というものは法律と倫理の差の部分を感じ続けていて
あなたを恨むようになる

そんなことはしない方がいい

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社会のルールは現状では
倫理感情と法律の間を揺れている
倫理感情は最高のラインで
法律は最低のラインである

だから「法律に触れないのだから許されているのだ」と言い張るようならば
はじめから最低限の生き方をしようとしている人だと分かる

倫理感情は最高のラインだからその考えに従っていれば
あなたは長い将来を考えても後悔しなくてすむだろう
損をするかもしれないが
人生について胸を張ることができる
神様にすこしは顔向けができるはずだ

世間では法律を守りさえすればいいと言うのも極論だし
倫理感情に完全に従っていたのでは世の中が渡り辛いことになるのだろう

だからその曖昧な中間部分に妥協点があると思う
しかし迷ったら倫理の側である
それで間違いはない

テレビドラマで「法律はこうなっている」という内容で感動することはないはずだ
「これが人の道だ」「これが情というものだ」というところで感動するのではないか

水戸黄門は法律の条文を盾にして人を許さないのではない
倫理が基準なのだ
人の道なのだ

人倫は明文化されていないから人によって感じ方も違う
それならば自分なりのもっとも高い水準のもので動けばいいと思う
後悔はしないようにすることだ

そのことが原因で人に裏切られることもあるだろう
それでもいいと思う
そのほうがいい
裏切るよりもずっといいではないか

裏切られないように賢くできれば一番の達人だが
そのようにできないことも多い
その場合には裏切られよう
相手の人も生きることで必死なのだ
それならば多少でも心に余裕のある側が譲ってもいい
たいしたことではない

どうせすぐに全員が死んでしまうのだ
人の命など待つ間もなくはかないものだ

多少譲ったところで大差ない
山手線を一本ずらしたからといって二分しか違わないのだ
それを大失敗と思い込んでしまうとしたら
やはりすこし大局的な見方が欠けているのだと思う

とはいえ世間はそうばかりも行かない
きちんとできればその方がいい
自分は倫理の水準を達成して
相手にも理解してもらう
それが一番いい
そのように万全の手配を尽くすべきだ

しかしそれができないとき
やはり心に余裕のある方が道を譲ればいいのだと思う