フロイトが現代の精神性的現状を見たら、
どのようなことを考えたか。
それは興味がある。
大学の准教授である彼は、妻の下半身をビデオに撮影する。
そして一人で閉じこもって何かをしている。
妻は参加しているような参加していないような、おかしな気分なのである。
このような場合、何が起こっているのだろうか。
彼の欲望の対象は妻ではない。
妻の手前の、映像なのだろうか。
妻の奥の、何かなのだろうか。
あるいは、妻のビデオを見ている自分なのだろうか。
普通、AVは実物が目の前にないから、
AVで代用していると思っているのではないか。
しかし、実物があっても、そして実物が実際の性行為を望んでいるとしても、
その欲求を無視して、AVというかたちでの、男性の満足を実現しているのだ。
女ではなく、女の影でもいいし、女のようなものでもいいのであるらしい。