梅毒と戦争

梅毒がコロンブスによってヨーロッパ大陸にもたらされたのが1490年のあたり。
ハイチ学説によれば、コロンブスご一行がハイチで接触、それを持ち帰ったらしい。

1494年の秋、フランス国王シャルル8世はナポリ公国を攻めようとしてイタリアに向かった。
シャルル軍は西ヨーロッパの国々の傭兵からなる混成軍で約3万人。
従軍慰安婦が千人くらいだったらしい。

シャルル軍は最初は勝ち進み、ナポリを包囲した。
両軍の娼婦たちは敵味方なく相手にしたし、梅毒を持っていそうなスペイン人の傭兵はシャルル側にもナポリ側にもいた。
こうなるとそのあたりは全員が梅毒になってしまう。

この場合はナポリ側が賢くて、もう食料がないからという理由で、女性たちをナポリ軍から追い出した。
シャルル軍は美しさに負けて受け入れたということになっている。
結果としてシャルル軍は梅毒のせいで弱体化した。
北に向かって逃げたのだが、そのとき各国に梅毒がまき散らされた。
その後各国で梅毒の拡散が報告されている。
梅毒は最初はナポリ病、後にはフランス病と呼ばれた。
シャルル8世は28歳で梅毒で死んだ。1498年。

なんだかあまりにもよくできていて嘘もあるのかもしれないが概略そんな話だ。
梅毒がなければ戦争の勝敗は逆になっていただろうといわれ、
戦争がなければ梅毒の蔓延はもっと遅れていただろうといわれる。
シャルル8世が話の流れではなくて本当に梅毒で死んだかどうかはよく知らないが、28歳はかわいそうだ。

梅毒という性病の認識が広まるのはこのあと。

ナポリ軍から追い出された女性たちのことは同情してくれる人は少ないようだが、よく分からない。