普段の言葉を使い
気持ちが通じ合っているように思うものだけれど
実は通じ合っていない場面がたくさんある
一人の人間が小説を書いたとすると
複数の人物はとにかく心は通じ合っている
決定的な言葉の通じなさはないはずだ
どうして言葉が通じないのかと思うけれど
いろいろな要因がある
病気である場合もある
背景にあるいろいろな要素が少しずつ微妙に違っていて
通じ合えない場合も多いものだ
たとえば言葉の深さの設定が違う
たとえば気持ちの根本が違う
とても単純にいうと
「嫌いだよ」と言ってどのくらい嫌いなのかは
状況判断による
言葉は状況判断を深く含む
だから言葉では伝えられないものを言葉は含んでしまい
伝えられないものに頼る伝達方式を好むことと
そんなことは考えない人とでは
意味が通じなくなってしまう
日本語を話す人同士で気持ちが通じなくなっている現実はなかなか厳しいと思う
異邦人と出会っている感覚なのだろう
その場合言葉の表面的で客観的な意味に頼ることになる
他人の心が見えない人はそのような態度になってしまう
解釈ミスを恐れるようになるからだ
解釈の違いはあってもいいし
違う深さの解釈を心の中に用意するのもいい
しかし普段の会話で解釈ミスが連発しているのでは暮らしにくい
暮らしにくいほどの解釈ミスが起こるのはやはり病気の可能性があると思うが
普通の意味では病気とは言わないだろう
だから何が起こっているのか理解に窮することになる
少しのところなのだけれど絶句してしまう