深尾憲二郎-6

[18: ミクロとマクロが繋がらない現状]
 


■てんかんの場合、我々は脳波を見て臨床をやっているわけですよ。もちろん脳波で全て分かるとは思わないけども、かなりの部分までは分かる。前兆のときはこの辺までで、発作が起きたときにはこの辺りまで広がっているとか、そういうことも分かる。脳ミソというのは目に見える大きさを持ってますからね、それは何を意味しているかというと、脳ミソの分業ということがけっこう大きなスケールで実在するということなんですね。で、脳に貼り付けた電極から見て、脳波の広がりが隣へと伝搬していく。シナプスを介さない横への伝導ということで、「エファプス性波及(ephaptic propagation)」という概念があるんですけど、あんまり文献がないんですよね。というのは実験系としてうまく証明できないんです。

○細胞をとってきて培養して、同期するかどうか試せばいいわけじゃないんですか?

■ミクロな系では、3Hzとかそういう遅い律動が作れないんですよ。一つの細胞がseizureを起こすということは簡単に作れるけど…。

○そこから先へ進めない?

■そう。遅い律動は興奮系と抑制系の大きな回路の相互作用によって作られているって考えられているからね。でね、てんかん発作の律動を作る大きなペースメーカーが脳幹にあるんじゃないかと、ペンフィールドの時代からみんな思っているわけですよ。それが、正常な睡眠の脳波に現れる紡錘波と何か関係があると、みんな睨んでいるわけです。でも、なかなかうまく実験で証明することができないんです。猫でしばらく実験がされてたんですけどね。

○二、三十年前の実験のことですか。

■そう、もうだいぶ昔の話です。ああいう実験が途中で尻切れトンボになって、いきなりパッチクランプでイオン・チャンネルがどうしたこうしたという話になっているわけね。繋がってない。

○ふーむ。研究の流行り廃りもあるんでしょうけど。

■ほんとそう。みんながその時の流行にワーッと飛びついてしまって間が埋まってない。
 1秒に何回かというリズムが起きるのも不思議だし、もっと不思議なのはさっき言ったように1ヶ月に何回か起きるということはなんでだろうと。全然わからん。
 そしてまたここでカオスが出てくるんですよ(笑)。こないだアメリカの学会に行ったらね、いまのアメリカのてんかん学会の会長は基礎研究をやっている人なんですが、その人が「unpredictability of epileptic siezures」という講演をしたんです。その人は真面目な研究をやっている人なんだけど、講演はちょっとウケを狙ったんでしょうね。てんかん発作はカオスかもしれないって言うわけです。でもunpredictabilityだなんて、そんなこと言っててもしょうがないと思うんですけどね。unpredictableなものをpredictするのが医療を含んだ技術の使命なんですから。

○予測できない、と言われても困りますよね。

■脳波の非線形解析でも、なるほどと思わされるものもないわけではないんです。たとえば、電極を頭に貼り付けるのか、脳の中に突っ込むのか知らないけども、脳波の次元がだんだん低く、つまりだんだん律動的になってきたところで、突っ込んでおいた電極から薬を注入してやるといった治療が考えられるんじゃないかと。将来的には。

○前兆を捉えたら、それを抑えてやるということですか。

■実際にね、本人が前兆を訴えたときに薬を投与すると効くんですよ。その後に発作になるのを止めることができる。だけど主観的な前兆がない場合もあるから、その代わりに脳波で予知できればいい、という考え方ですね。
 しかしそれに対して本当に非線形力学が寄与できるかどうかは怪しいですね。律動が出てくるというところが重要なわけだから。非線形じゃなくてもいい。

○律動が出てくる時っていうのは、恐怖感なりデジャビュなりが起こるってことは、やっぱり回路の単位で起こって来るんですか。どういう単位で律動が起き始めるのか、ということですが。

■うーん。今は脳の表面に電極を置いて調べているわけだけれども、その置き方はもう、決まってしまったやり方があるんですよ。以前はね、今でもヨーロッパではやっている人がいるけれども、脳を文字どおり串刺しにして調べていたわけです。はっきり言って適当というかね。この辺じゃないの、という感じで串刺しにしてたんです。電極のところどころのコーティングを剥いでね、剥き出しにしたところから脳内の電位を測ってたんですね。

○なるほど。

■でも今はね、最低限扁桃核と海馬だけは発作にとって大事だから差し込む。残念ながら側頭葉は傷つけることになるけどね。そして、ビニールのシート中に白金の電極が1cmごとに埋め込まれたものを脳の表面にぺちゃっと乗せる、そういう形ですよね。
 そうすると、シルビウス裂の中みたいな深く入り込んだ部位はカバーできない。僕は個人的にシルビウス裂の内部に興味があるんだけど、残念ながら全然分からないんですよ。発作の記録をしていると、ときどきこれはシルビウス裂の中から起こってくる発射じゃないかなと思われるものもあるんだけど、隔靴掻痒というか、表に出てくるまでは電極に捕まらない。海馬と扁桃核には電極が差し込まれているから、海馬・扁桃核がいつ発作に巻き込まれたかは分かるけれども、じゃあその時、辺縁系の他の部分はどうなっているのかなどということは分からないんです。みんな知りたいと思っているんだけどね。やたらに不必要な電極を差し込むことは倫理上できない。

○そりゃそうでしょうね。

[19: てんかんと記憶]
 


○研究者の人で自分がてんかんだという人はいないんですか。

■僕は知らないですね。

○そういう人がいたら、主観的な印象の拾い出しなんかはずいぶんできるんじゃないかな、と思ったんですけど。

■うん、僕がやっている精神病理学的な方法は主観的な情報を見ようとするわけだから、それには患者の側にかなりの知性と表現力が必要とされるんです。たしかにそういうことはあるけども、医者本人が病気を持っていても、大して変わらないんじゃないかな。自分の脳で起こっていることってほとんど分からないでしょうからね。発作がかなりの程度までいってしまってから、あ、ヤバイ、と思えるくらいでしょう。あまり変わらないような気がしますね。

○そういうもんですか。

■たとえば、ドストエフスキー(てんかん持ちだった)の書いていることをどのくらい信用するかっていうのがありますよね。古典的な精神病理学者は文学的な傾向が強かったですから、ドストエフスキーのいうことを、本当にもう、てんかんの真実のように崇め奉ってたんだけど、本当のところはどうかな?と思いますね。

○かなり創って書いていたかもしれないと?

■うん。本人はてんかんでかなり苦しんでいたんですよね。すごく嫌だったんだけど、良い部分を拡大したというか。あとから修飾して書いていたかもしれない。

○記憶するときにも、そもそも修飾されちゃいますよね。

■そうですね。かなり失われるはずですよ。
 発作になる前に前兆を毎回訴えるんだけど、後で本人は覚えてないっていう患者さんがいっぱいいるんですよ。それはたいがい側頭葉てんかんなんです。だから発作の時に記銘も障害されるんでしょうね。実際、そういう人は長い間に記憶が悪くなっていくんですよ。記憶機能が落ちていく。

○放電によってどんどんやられていく?

■たぶんね。詳しいことは分からないけどね。

○機能が落ちていく、というのはどういう単位で落ちていくんですか。神経細胞がどんどん死んでいくことで落ちていくのか、それとも、神経細胞一個一個のチャンネルが変わるとか、ブロッカーが変わるとか、どういうレベルで…。

■分からない。誰も調べてない(笑)。調べようがないんですよ。長年かけて記憶が落ちていくっていうのはね…。

○サルはてんかんになるんですか?

■うん、実験用のサル、脳に電極を装着されたサルがね、細菌感染を起こして、それが原因でてんかんを起こすことはあるみたい。

○細菌感染でてんかんになるんですか? どうしてですか?

■なるんです。人間でもいろんな原因でてんかんになりますから。たぶんね、膿瘍ができるんだと思うんです。脳の表面と硬膜の間とかに膿瘍ができて、その周りの細胞が異常になるわけですよね。そうするとてんかんが起こりやすいと。だから細菌自体が神経細胞に悪さをしたりするわけではなく、炎症反応とか二次的な環境の変化が細胞を変化させるんじゃないかと。

○どんなふうに変化しているんですか?

■たぶん、ミクロな実験をやっているような人が使っているような細胞、刺激に対してずーっと反応し続けるような細胞になってるんでしょうね。
 そもそも海馬が、記憶を担当しているとともに発作を起こしやすいというのは、もともとそういう性質を持った細胞がたくさんあるからだと考えられているんですね。脳に電気刺激を反復的に与えることで、自然にてんかん発作を起こすようになるキンドリングっていう動物モデルも、もともとは学習のモデルだったんですよ。それが必ず痙攣を起こすようになってしまうから、いまはてんかんのモデルとして使われているけれども。

○ふーむ。

■そういう考え方は前からあったんですよ。神経細胞っていうのは基本的には伝言ゲームみたいに、右から受け取ったものを左に渡すという形になっている。だから、一つ受け取って隣に渡したら、あとは次のものがくるまで黙っていないといけないんだけど、てんかん細胞というのは一回受け取ったら、どんどんどんどん滅茶苦茶に渡すと。そしたら周りにも連鎖反応が起きて、それがどんどん広がっていくだろうと。その過程でリズムが出てくるのはなぜかは分からんけども、ミクロの人がseizureって言ってるのはそういう意味だと思いますよ。一つ入力が入っただけで、ダダダーッと出力すると。マクロなリズムが作られるのが何故かは分からないけども。

○やはり最初はそういう形で始まるんでしょうか。発作は、どういう単位から始まるんでしょう。一個の細胞から始まるのか、コラムかセル・アセンブリか知りませんが、そういう機能単位から始まるのか。

■ああ、僕らは脳波でリズムを見ているわけだけれども、リズムっていうのは、かなり大きな細胞集団じゃないと作れないように思うんですよ。それとそういう律動性波形は広がっていくときに周波数が変わることがあるんですよ。狭い範囲である周波数をもって出現したリズムが、範囲が広がると変わることがあるんですね。そうするとそれは、何か固有振動数みたいなものがあるのかもしれない。100個の細胞集団と1000個の細胞集団では固有振動数が違うでしょうから。

○なるほど。

■でも、もとの100個の細胞集団はどうやって振動を始めるのかと言われれば、たぶん、コラムみたいな単位があって、その単位の中では入力と出力が互いに複雑に絡み合っているんじゃないか。それで閉回路になって、振動を始めてしまうんじゃないかと。

○機能単位があって、そこから始まる、という考え方ですか。

■発作の始まる単位が生理的な機能単位なのかどうか、それは分からないです。ケースにもよるでしょう。
 だけど、最近では部分てんかんの人にMRIで映るような病変があることがかなり多いと、分かってきたんです。以前はね、「病変はない」って言われてたんです。てんかんというのは一般には本当に「機能障害」であって、解剖学的病理学的な異常はないと言われていたんですけど、実際にはかなりあったんです。実際にその病変を切除すると治るしね。それでその切ったところの神経回路はグチャグチャになってる場合が多いんです。こういうことから、本当に脳の一部で起こっていることなんだなあ、一部の異常な神経回路から異常活動が起こって、周りの正常な回路が巻き込まれていく現象なんだなあということが分かってきたんです。

○なるほど。

[20: 手術の後遺症]
 


○手術の話が出たんで、お伺いしますが、手術の後遺症は残らないんですか? 記憶がなくなったりとか?

■残る人もいる。覚えていたことを思い出せなくなったということを検査ではっきりさせるのは難しいんだけど、本人の主観的な訴えはよくあります。「思い出せない」と。

○じゃあそれは、記憶があった、っていうことは覚えているわけですか。アドレスはあるんだけど、アドレス先のデータがない、って感じですか?

■そうとも言える。記憶に関してどんなモデルを採るかにもよるけど。
 たとえば、友達から電話がかかってきてね、誰と喋っているのか分からない。ただ、その声には聞き覚えがあるし、友達だはと分かるんだけど、誰なのか分からない。そういうことがある。

[21: 心理学の言葉を神経科学に導入する弊害]
 


○「声には聞き覚えがある」というだけだと、単に親和性を覚えているだけかもしれない、という可能性があるんじゃないですか?

■ああ、その親和性、英語でfamiliarityって呼ばれている感覚に僕は非常に拘っているんですけどね。familiarityという概念は微妙だと思うんですよ。概念そのものは前世紀中にもう作られていたみたいなんだけど、ペンフィールドはもっぱらこの概念を、今でいう「認知発作」のメカニズムとの関連で考えていたんです。僕はよくない言葉だと思うけど、現在、発作症状としてのデジャビュなどの錯覚現象は認知発作(cognitive seizure)と呼ばれているんですよ。
 ペンフィールドの理論に従えば、こういうことになるんですね。何か見たり聞いたりしたものを分かる、ということ。彼自身は昔の人だから「認知(cognition)」という言葉は使ってなくて、「知覚(perception)」という言葉を使っているんですが、知覚ということは、外から入ってきた感覚データを過去の記憶データと照合しているんだと。バーッと一瞬の内に記憶データが走査されて、似たものがあったらバチッとそこへはまるんだと。そしてデジャビュの場合は、間違ってそれが起こると。まだ見たことないものを見たと知覚してしまうからそういう錯覚が起こるんだと言ってるんですね。

○ええ。

■それはね、機械的な理屈としてはなるほどと思うんですよ。でも僕はね、気持ち的にしっくりしないものがあったのでね。最近でも同じような説明をするが人いますけどね。記憶しているものと、今見ているものが実際には違うのに、アイデンティファイに失敗してしまって、同じものだと認知する、それがデジャビュだというんです。だけど、それだとね、ベルグソンが指摘していたような「不思議な感じ」というのが説明できない。
 まあこの「不思議な感じ」というのは科学的に完璧に説明できるものではないような気もするんで、僕も哲学的に考察したりしているんですけど。「独特の不思議な感じ」とか言い出すとね、科学的には解明しきれないのかもしれないなあと思ってね。

○そうなんですかね? それはやや分からないんですけど。

■いや、僕は別に科学に反対するわけじゃないんですけどね。精神現象について科学的に説明するということは、安易にやると意味がないと思うんです。
 たとえばfamiliarityにしたって、familiarityだけが出てくるとかいうけどね、そういうのって、ずるいような気がするんです。機能局在論、神経心理学にとっては大切なことだと思うんですけどね。実際にはfamiliarity、親近感って、心理学的というか、主観的な概念でしょう。「こういう感じ」といった。

○ええ。

■それをあたかも実体であるかのように言う、というのはね。たとえば扁桃核とかを持ち出して、レッテル貼りをしてね。そしてあとはモノのように扱う、というのは、それはずるいというか、神経心理学の悪い所だと思うんですよ。

○もう少し説明して頂けますか。

■たとえば、昔ジャクソンという人がいたでしょ。近代てんかん学の父とも言われている大神経学者なんですが、彼なんかはものすごく言葉に神経質ですよね。心理学の言葉を神経学に使っちゃいかんと言ってね。本人は唯物論的な人で精神機能のすべてを機械のように説明しようとするんだけど、そのときに心理学の言葉を安易に使っちゃいけないということをしつこく言っているんですよね。そこらへん、最近の神経科学者はちょっと甘くないかな、と思いますね。

○脳と心、という言葉そのものがまさにそうですね。心=脳みたいな捉え方ですよね。
 心ってものの因数分解が全くできていない段階で、そういうことをパッと言ってしまっていいのか、本当にそうなの、というのはありますね。それで分かったような気になってしまうのは危険かもしれませんね。

■そうそう。そういう弊害みたいなところはある。

[22: 無意識]
 


■たとえば、脳の研究者の人達もフロイトのことは知っていてね、なんとなく「無意識」っていうのはあるんじゃないかと思っている人がけっこういるんですね。