喪失の痛みは理解可能なのか

このひりひりした痛みを
喪失の痛みと名づけるなら
それは共有可能なものになるはずであるが
根本的に共有など出来ないはずだと思ってしまう

痛みを分かって欲しいと願う
しかし一方で、この痛みを簡単に分かって欲しくはないと思う

分かるはずはない
したり顔で同情して欲しくない

すべての歌は
共約数的であるが
所詮は共約数でしかない

すべての解説は翻訳可能な一部分であるが
全体ではない
全体は翻訳を拒んでいる

分かるはずのないものを分かって欲しいと言っているのだから、
分かるはずはないけれど分かりたいと思うと言ってくれれば
納得するはずなのだけれど
それも結局は分かっているということで
それではいやなのだ
もっともっと分からないものだということを分かって欲しいのだ

結局、すべては、あなたがいなくなったせいだ